(これだから日本は嫌なんだ)
ポールはバイクを停めて降りると空を仰いだ。
まず入国手続きで一日空港に足止め。
そしてたった一台の事故で二時間半もの渋滞、さらに運の悪い事にトンネルでまた一時間半渋滞。
その他もろもろの事情で、一八へ告げていた到着時刻よりおよそ一日半が過ぎていた。既に深夜の三時を回っている。
エンジンを切ってバイクを静め、すっかり静まり返ったガレージを後にした。

一八がポールへ教えた住所は彼が日本に居る時に使っている住所で、古いマンションであまりものもなかったが、一八は気に入っていた。
ポールはその部屋の印象といえばベッドが畳においてあった事ぐらい。これはカルチャーショックだった。
(まあ、どっちも楽しんだからいいけどな)
楽しんだというのはつまりはそういう話。ベッドで畳で、だいぶ楽しい思いをしたという話。
バイクに積み込んでいた荷物を肩へと担ぎ、ツナギの胸ポケットから合鍵を取り出した。もし自分が居なかった場合は好きに使ってくれと一八が寄越したのだ、 そっけない言葉のわりに赤らんだかわいい顔をしていたことをポールは思い出す。
携帯電話など持っていないポールは日本に到着した際、空港の公衆電話で連絡を入れたきり。
(寝てるか)
ブーツの金具がカチカチとコンクリートの寒ざむしい階段に音を立てる。慌てて爪先立ってポールは階段を上がった、長時間バイクにまたがり続けていたせいで 内股がこわばったように痛んでいた。

部屋番号を確かめて、鍵を鍵穴へ突っ込む。ベルを鳴らす気にはなれなかった。もし眠っているのならばわざわざ起こすのも悪いような気がした。
(寝てたら、キスの一つもしてやろう)
かわいい男の事を思うだけで、ドアノブを掴むポールの指先が緊張した。音を立てないように、ソロリソロリと。
無論相手が格闘の達人なのだから、人の気配などすぐに察知してしまうだろうとは思いながら、ポールは静かに部屋へと身体を滑り込ませる。

玄関に立ったポールの目に飛び込んできたのは、カーテンの無い部屋、その窓に大きくグレープフルーツのようにごろんと転がり込んできている月。
冬の空気が澄んでいて、月はさえざえと輝いている。
荷物をその場に下ろし、ブーツの留め具を外し、部屋の中へと足を踏み入れた。

部屋の突き当たり、窓際に置かれたベッドから足が飛び出している。腰掛けたまま後ろに倒れこんだ人間のもの。
(寝相が悪い…ってワケじゃなさそうだな)
足音を忍ばせてポールはベッドの側へと歩み寄る。
覗き込んでみると果たして部屋の主人、三島一八が仰向けに眠っていた。

この寒いのに上に何もかけておらず、薄手のシャツにジーンズというラフな格好。そして、
(ギリギリまで起きてたのか?)
何度も擦ったとおぼしき目の腫れ、足元にはさまざまな雑誌が散らばっている。
月光が青く染めた部屋の中は静まり返り、ただ一人の寝息がおだやかに時を数えていた。

ポールは無言で一八の側へと手をついて、身をかがめた。眠りは浅いようで、口元がふにゃふにゃと何かもの言いたげに動いている。

「カズヤ」
そっとポールは名前を呼んだ。頬へ触れようとして、グローブをはめたままだったのに気づく。乱暴に口で手首のテープをむしりとって脱ぎ捨てる。
あたたかく湿ったポールの手のひらがいとおしげに頬へ触れ、それから指の背でそっとなで上げた。
「んん、」
一八の顔がしかめられた。皺のよった額へポールはキスを落とす、
唇が触れたとたん、一八の瞳がゆっくりと開いた。目は赤く充血している。
「…ん、」
「遅くなっちまったな」
一八の視線が次第にポールへ焦点を結ぶ、あ、と閉じられていた唇が驚きの声を漏らすため開かれる。そこをポールは唇でもってふさいだ。浮腫んだ一八の瞼が 見開かれ、すぐに蕩けたように細められる。
詫びの言葉の代わりに舌を滑り込ませると、入り口付近で軽く噛まれた。咎めるというにはあまりにもかすかな、痛みにも満たない痺れ。
(かわいい奴)
ポールはあやすように一八の頬を何度も撫で、丸みのある後頭部に手を差し込んで持ち上げ、癖のついた髪の毛をかき乱しながら何度も角度を変えて口付ける。
一八は喉の奥でくぐもった声を上げ、乳飲み子のように舌を吸い上げ続けた。

息継ぎに唇同士が離れるたび、外とさほど変わらない温度の部屋で、二人の交じり合った吐息が白く丸く膨らむ。
「っは、ポール…ポールっ…」
(たまらない声出しやがって)
一八の腕はポールの首に絡んで離すまいと、子供のように抱え込んでいた。
「いい子にしてたか、カズヤ」
耳元でたずねてやると首筋へと噛み付かれる。その噛みかたもまるで甘えたもの。
既に一八のジーンズの前は膨らみ、ポールが戯れに指で触れるだけで腰がくねる。禁欲していたかなどと聞くまでも無い事だった。
「んっ、ポール、はやく…」
わざとらしく自分の肩へ鼻を近づけて、
「その前に風呂に入らないとな、昨日から入ってないからな」
ポールが身体を離そうとすると、腕が追ってきて力を込めた。まださほど触れていないというのに一八は目にしっかりと潤みをもって、切なげに鼻を鳴らす。
「う…そんなのどうでもいいだろ」
「お前嫌いじゃなかったか、いつも臭い臭いって言ってただろ」
更に意地悪を重ねてやる。
うー、
一八が困ったように唸った。その唸り方をポールは愛らしいと思う。
(子供か、オレより年上のくせして)
ポールは白い歯を見せて笑った。ジッパーを下ろしてツナギの前を開けていく。革と汗の蒸れた、男の匂いが一八の鼻へと届く。
ごくんと一八が喉を鳴らしたのがポールにもわかった。月の光が一八の喉へ真珠のようなあわい光をこぼしている。

(かわいい、それに、なんてエロいんだ)

「はやく」
すっかり拗ねた一八の唇へ、ポールは荒れた指先で触れる。指先を噛む一八の目はくるりと悪戯に揺れている。
「わかってるよ、あんまりかわいい事言うな」
待たせて悪かった、そうポールが再び宣言してベッドへ乗り上げて一八へ覆いかぶさると、待ちわびたように一八の両足がポールの腰へと絡みついた。