母さんの言葉もあって同居してみたはいいけど、なんて手のかかる人なんだろう。
片付けるという事もしないし、振り返るという言葉なんか知らないのか。
できる事といったらトイレを流すぐらいだなんて犬猫並、いや、躾がきかないぶん犬猫のほうがマシかもしれない。
食べ物も冷蔵庫から勝手に取って食い散らかすし、当然食器は洗っていない。
俺がいなかったらどうするんだろう。
もしかして俺がやると思ってるから何もやらないんだろうか。そうならなんて憎たらしい事をするんだろう。
俺がそんなに嫌いなのか、俺のほうがきっと嫌いだ。母さんの言いつけが無かったら同居なんて絶対にごめんだ。
別にあの人(なんでかあいつと呼ぶのは頭の中でも抵抗がある)は俺に何かして欲しいとか言ったことはないんだけれど。
それがなんだか、本当にどうしてだか腹が立つ。
俺なんか取るに足らない、ただ役に立つとも思ってないのか。俺が今あの人の汚した皿を洗い、脱いだ服を片付けているのは目に入ってないのか。
腹立たしい。
だから見かねて、
「……俺はアンタの家政婦をやりにきた訳じゃない」
そう言ってやったんだ。面と向かってはお前と呼べなかった。それはあの人の顔が怖かったからじゃなくて、あの人を少しずつ知ってしまったから。
「………フン」
あの人が俺にくれた言葉(言葉ともいえない)はたったのこれだけ。
どうでもいいというのか。
俺なんてどうでもいいのだろうか。風間準の、母さんの息子である俺は。
……俺はどうしてここに居続けているんだろうか。




楽しいか楽しくないかで言えば間違いなく楽しくないあの人との、父さん(改めて物凄い違和感だ)との同居生活。
更にそれが楽しくないものになった原因は、もしかしたら俺にあるのかもしれない。今更過ぎるけど。


ともかく俺があの人に言った次の日から、俺が起きた時には家の中はすっきりきれいに片付いていた。気づけばどこからかいい香りまでしてくる。
水垢と髪の毛で汚れていた風呂もピカピカ、積み上がっていた皿もきれい、シーツは既に洗ってきちんと干してある。まだ七時だというのにあらかた片付いてい た。
これ全部あの人がやったんだろうか、どんな顔でやったんだろうかと想像していた俺。
よく考えて見ればあの人がそんな事をするわけが無いのが、わかりそうなものだった。

朝日が眩しい。俺は寝巻きのまま、しばらくそこへ突っ立っていた。
部屋の中が眩しい。目の前で二人の人間が作る雰囲気が何か目を背けたいような、おかしな。
「髭はどうする?少し残すか?」
椅子に腰掛けて、顎から揉み上げにかけてを真っ白な泡に覆われたあの人は、限りなく無防備だ。
喉元に鋭いカミソリ(T字のじゃなくて、床屋で見るような立派なものだ)を宛がわれても目を閉じたまま。
李超狼、あの人から見て義理の弟、俺から見て義理の恐ろしくきれいな叔父(叔父に義理もなにもあるんだろうか)がそのカミソリを手にしている。
家の中をすっかり片付けたのはこの李さんで、あの人が呼び寄せたのだろうとは聞かなくてもわかった。
その李さんはあの人の顎から頬へとカミソリを滑らせて、床屋よろしくあの人の昨日まで伸びっぱなしだった髭を剃り落としていた。
「剃っていい」
目を閉じたままのあの人は気分が良さそうで、全身までリラックスしているのが俺にも見える。李さんも李さんで、いい年した男の髭を剃っているのに抵抗がな さそうどころか、嬉しそうにしていた。
「わかった、」
この二人の仲が良くないというのがおおむね世間での噂だったはず。
トーナメントでは苛烈に争っていたのを俺も見ている。義理だろうと三島の家に関わると争わなくてはならないというのは本当だ。
なのになんだろう、俺の目の前で繰り広げられている不自然な仲のよさは。

「肌が荒れている」
「貴様の手際が悪いせいだ」
「……フッ、私の肌に嫉妬したか」
「面の皮の厚さは見事なものだな」

俺が馬鹿みたいに突っ立って見てるのが、見えてないはずもないのに。上っ面だけの言葉のやり取りなのに漂う仲睦まじさ。
あの人の意識は俺に向いていない。逆に、李さんの一挙一動は俺を意識しているんじゃないかと思えた。
やけにあの人の耳や頬や首、それから肩へ触れている気がする。言葉も何か含みがあるような気がする。
構っている相手はあの人なのに、俺へとその意識が向けられている気がしてならなかった。居心地の悪い思い。
だいたいあの人もおかしいんだ。刃物を持っている人間に髭を剃らせるだなんて、信用してもいないだろうに。実の父親や、俺ですら信用していないのにどうし て義理の弟が信用できる?いつ首を掻っ切られるかもわからないのに。
わからない。

「……出来たぞ、」
「ああ」
「鏡を見るか」
「いらん」

短いやり取りだったけれど、腕は確かだとあの人は思っているんだろう。鏡でいちいち確認するだけ時間の無駄だと。
俺には何をしろと命令すらしなかったのに、どんな顔でどんな言葉で李さんに頼んだんだろう。


ふと、李さんが俺をチラと見た。目が初めてばっちりかちあった。俺をさっきから気にしていたのに、目は絶対にあわせなかった李さん。
「泡を拭く、上を向いて…」
李さんがあの人の顎へ手をかけた。顔を上向かせる。喉仏の大きな筋ばった首、上を向いた時に目立つ鼻筋、
「……」

キスをしていた。
上を向いたところへ目掛けて、李さんはきれいな唇を押し当てていた。
あの人は抵抗一つしないで、それどころか楽しんでいるように見えた。

俺は背を向ける。
李さんの視線は俺の背中に突き刺さっているまま。痛くはない、ただ試されているような、からかわれているような不愉快な気持ち。

「………」
俺は部屋を後にする。口の中が苦かった。