構って欲しいわけじゃない

父親を嫌だと思う時ってどんな時?ランキング
三位・仕事第一過ぎる
『おとうさんはしごとがいそがしくてぼくとあまりあそんでくれません』
埼玉県小学生男子他多数



ある十月の休日である。
朝からうす重く曇る嫌な天気で、布団を干すにもかといって洗濯を諦めるにもどちらにもつけない陽気。
定位置となりつつある日当たりのよいところへしつらえられた布張りの大型ソファではなく、一八は珍しくリビングダイニングテーブルへいくつもの書類の束を 投げ出して仕事をしているようだった。
眉間には皺を寄せ、次から次へと手当たりしだいのように膨大なデータのつづられた書類を捲っており、少しも考える事もなくボールペンで白い紙へと書きつけ て行く。
不要な部分へは容赦なく取り消し線を引き、部下への指示らしきものを書類の端へと書き殴る。書き殴るといっても決して悪筆ではない、むしろ升目があれば きっちりと収まりそうな几帳面な字だった。
几帳面な字といっても決して神経質ではない、強い字である。
シンプルな作りの濃緑のダイニングテーブルは実は木製で、一見モダンなつくりだが漆塗りである。一八の筆圧が漆をごりごりと圧迫していた。下敷きをしてい るわけでもないのでおそらくあの紙をのければくっきりと痕がついているだろう。
次から次へと、まるで漫画のコマ送りのように右側へ積み上げられていた書類が左側へと移されていく。移す際にきちんと積み上げていないため、ばらばらと書 類は床へ落ちた。しかし一八は拾わない。
三島一八は拾わない。
たとい路上に一万円札が落ちていても、構わずに踏みつける男である。
とにかく猛烈に仕事をやっつけている。蒸気機関車のようにやっつけている。
すさまじい記憶力と集中力である。同じ書類を二度とは見直さない。たとえ訂正書類が後に出てきたとしても、元は見直さない。全てを記憶しているようだっ た。
「やってる事は過疎地の村役場みたいに前時代的だよ、面白いから見ていてご覧」
李に囁かれて仁は改めて一八を見直すと、確かにそうだった。
よくよく見ればこれだけの量のデータを紙で確認する事は非常な無駄である。おそろしいほどのハイスペックの無駄遣い。
パソコンの画面上で重要な部分だけ検索して確認すれば簡単に済むところを書類にして一から全てを飲み込む、いわゆる泥臭い昭和のやり方である。
「まったく見ていてイライラするよ、まるで美しくない」
気に食わないと言いながらも、李は結構嬉しそうにしている。仁はその姿をなんとなく胸打たれるものがあって見つめ続けている。一八は二人が自分を見ている のも構わない、気づいていない訳ではないが二人は一八にとって今は石と変わりない。
父親の仕事をする姿というのを、仁は初めて見た。
なりふり構わずにこうして仕事している一八の姿は仁にとって好感が持てる、それは認めてもいいと仁は思った。
「あの……」
仁はためらいがちに口を開きかけて、しかし再び口を噤む。最初は昼食の支度が出来なくて邪魔だとしか思っていなかったが、今はその気持ちはもうそよそよと 消えている。
一瞬一八は仁をちらりと見て、しかし仁が何も言わないでいるのを三秒待ってから再び書類へ没頭した。

仁は膝をつき、何も言わずに床へと散らばった書類を静かに集め始めた。
そっと白いシャツに包まれた一八の背を見上げる。広く、たくましい背中。
眉間に皺を寄せて口許を引き結んでいる厳しい横顔。集中力をどこへも逃さず、ペンを持つ右手に遊びは無い。
ジーンズの右足が左足に組むのではなく乗せられている。
――半跏思惟
仁はそっと、書類を束ねて、机の上へと置く。にやにやとそれを見守っている李の視線に仁は気づいたが、それでも構わなかった。
一八がちらりと書類から顔を上げて仁を見た。
「……パソコンを使えばいいのに」
「好かん」
「使えないんだよねえ」
李が軽く口を挟む。一八はじろりと李を睨んだが、
「まあな」
素直に一八は頷いた。李も仁も顔を見合わせる。一八が自分の弱みをすんなりと受け入れた事に驚きを隠しきれないでいる。だがよくよく考えてみれば今の段階 でも特に支障が有るわけではない、一八としては今から楽になりたいと思った事もない。
調子が狂ってしまった仁だったが、
「それじゃ……それじゃ、紙が無駄だ。紙は限りある資源、だから」
決して咎める訳でもなく優しい声でそう言った。
「ああ、そうか」
言われて一八は初めて気づいたと言うようにまたも頷いた。書類の一枚をつまんで、ぺらりとひっくり返す。
懐かしい、
懐かしい声、
『――全ての資源には限りがあるのよ!』
「……そう、だな」
初めて仁の見る、春の海のような一八の眼差し。

(ああ、そうなんだ)
仁は胸が暖かい。まとめた書類に何気なく視線を投げると。
『生物改造兵器報告書二十四』『ウェズリー市長脅迫進捗状況』『新型毒ガス装備』
「…………」
「……どうした、そこに置け」

持てる限りの力を込めて、仁はその厚さゆうに五センチ以上はあろうかという書類の束を指の力だけでボリボリと人力シュレッダーのごとく縦横へ引き裂いた。 この一時間の仕事が紙くずと化した、怒りに一八の額へ青い静脈が浮き上がる。
「貴様!」
「お前なんかやっぱりだ!」
「何だと!」
「畜生!」
一八が立ち上がる。仁は一八の肩を突き飛ばした。一八の左ストレートが飛ぶ。
李は軽々と大きなテーブルを細腕でどかし、やれやれと肩をすくめて床へと散らばった紙吹雪を見下ろした。また掃除が増えてしまったと溜め息混じり。

「まったく、構って欲しいがためにこんな事をして…」
「違う!」
仁の額には青い静脈が怒りそのままに浮かんでいる。
モクジ
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