笑う三島の男
あなたに塗り潰されたい。
あ、これは童貞じゃないなと思いましたね。すぐわかりました。だって雰囲気が違う、童貞ってものはもっと落着きがないものでしょう。鼻息なんか荒くっ
て、
それもかあいらしい女の子とじゃなくて百戦錬磨の女郎相手なんだもの。そりゃ鼻息だって荒くなる。いろいろ考えすぎて鼻血を垂らす方だっているんですよ、
マンガみたいにね。それがかあいらしいっちゃかあいらしいとも言えますけども。
とにかくあの方は様子が違った、襖をぱんと開けてあたしを見る顔からしていっぱしの男の顔をしてました。濃紺の着物に灰の袴姿で、背筋がしゃんとして、
眉
が凛々しいいい男でした。顔のつくりは幼くても雰囲気が大人でしたね。ああ男が来たなって感じで。
「いらっしゃいませ、お坊ちゃま」
「一八だ」
声にはまだ甘さがあって、聞いていた通りの十四の子供のものでした。でも声の調子はひどく冷たくって、突き放すようでしたよ。あたしを見る目も女を見る
目
じゃなかった、こんな場所でですよ。花街のど真ん中のこの娼館で、声にも顔にもちっとも欲ってものを感じなかった。怖がる人っていうのもいますよ、笑っ
ちゃうようですけどあたしら女郎を鬼みたいに思ってる人。食われちゃうように思えるのかもしれない、けどそういう人ほどいっぺん始めますとズブズブっての
がお約束ですね。今まで長らく女郎やっていましたけど、途中でおやめになった方はいませんよ。おやめにならないようにするのがあたしらの仕事でもあります
し。でも一八さんは怖がっているわけではもちろんない。
ともかく一八さんはそこいらの同い年ぐらいの子と何もかも違っていました。あたしはそこで一八さんの顔をようやくまじまじ見て、お父上とは似ていないと
感
じました。あのハゲ爺よりずっと繊細に見えたし、見たことはないけど奥方様に似ているんじゃないかなってね。
「お前が親父の女郎だな」
「はい、三島のお殿様にはいつもごひいきにしていただいております」
あたしはそう言いながら胸がむかむかしていましたよ。だってそうでしょう、あなたのお父様にひいきにされていますって言う女郎、おかしいでしょう。それ
に、十四の子供が父親の女を目の前にして女郎と言う。
なによりこれからあたしと一八さんは寝るんですから。禁忌なんて女郎にとっちゃ軽い言葉だけど、父親と息子二代ってのはあたしにとっては初めてでした。
「あの野郎の考えそうな事だ。まったく下衆な事だ」
一八さんは子供が絶対にしないような、吐き捨てるような顔で胡坐をかいていた脚をダッとほどいて投げ出すとあたしを睨んだ。袴の裾から毛脛が覗いて、そ
の
脛に真横に横切るような傷があったのをよく覚えています。あすこだけ毛が生えないんでしょうね。行燈のあかりしかなくても、なぜだかよく見えました。
立てた膝へ肘をついて顎をさすりさすり、あたしをまっすぐに見てくるんですよ。値踏みするみたいにね。それであたしは初めて会ったばっかりのこの子供に
高
く見積もられたいと思ったんですよ、不思議と。
「お父上はあなたがこわいのでしょう」
「ふん」
髭だって薄い、毛がようやく生えそろったような子供がこわい。こわいんですよ、全部わかっている顔してるんです。あたしはだからお返しみたいに、あたし
も
わかってるってところを見せたくなった。子供みたいでしょう、あたしこそ子供みたいなものでした。女郎が客と話をしたいのって、それって惚れてるってこと
なんですけどね。そうだったんです。
「こわいから、あたしなんでしょう」
「そうだ。……酒」
一八さんは顎をしゃくった。未成年の方にはお出しできません、そんな軽口も叩けないであたしはガラスのちろりを手にして一八さんの横へと膝でにじり寄り
ま
した。もう一八さんは男だったから、そりゃ酒も飲みましょう。あたしの酌を一八さんは当然のように受けた、飲みっぷりも上々でした。初めての方はたいが
い、強がって肩肘張って飲みっぷりを見せつけようとするんです。喉なんかグッグッと鳴らしてね。それか使い物にならなくなっちゃあ困るから、かちこちにな
りながら一口しか飲まないか。けれど毎晩そうしているように、一八さんは酒を飲んだ。何度も言いますけどいい男でしたよ、十四とは思えない。
いくらか飲んでから、一八さんは笑って、
「あいつは……平八はお前にどう頼んだ?」
そう尋ねた。あたしは包み隠す気も無かったので、
「男にしてやってくれと頼みましたよ」
「ハッ」
馬鹿にした顔で一八さんは笑いました。いい笑い方でしたよ、悪い顔でね。よくどうしようもない男にひっかかる女がいるでしょう、あれとは全然違いますけ
ど、女はなんでか悪が好きなんですね。お酒を飲んでちょっと目の端っこのところが少し赤くなって、それがまた笑うとますます悪くていい。
「俺を崖から落とした話を知っているか?」
「ええ」
三島のお殿様、三島平八はよく上機嫌になるとあたしに獅子は崖から子を突き落とす話をしました。自分は獅子だと、自分も子供を突き落としてやったと。考
え
られないような話でしたけれど、噂でも確かにそう聞いていましたし。
「……あいつは俺を崖の上から見下ろしている。ずっとだ、俺が這いあがった今も」
一八さんはなんとなく、煮えたような眼をして盃の酒を眺めていました。その横顔は一瞬だけ子供みたいに見えたような気がしたんです。
「何度も突き落とされても俺は這い上がった。いつかあいつを引きずり降ろして、今度は俺が崖から突き落とす番だ」
「………それででしょうか」
「だろうな、お前を使って一生俺を見下ろすつもりだろう」
あたしはまた、酒を注ぎました。一八さんはあたしを見て笑います、あたしがどんな顔をしているのか興味があるようでした。なんとなくですが自嘲のように
も
見えましたね。あたしはずっと一八さんの顔を見ていました。なんて恐ろしい親子だろうって思いながら。
自分がひいきにしている女郎を、息子にあてがう。普通あり得ない事でしょう。でももっと考えてみると、すごく怖い。おぞましいって言うんでしょうか、鳥
肌
が立つような。
「お前は一生自分の二番手だ……とな」
「呪いですねえ、こわい」
「こわいか」
そう、一八さんが言う通り。そう言う事をあの三島平八は一八さんに言いたいんでしょう。女の最初とは違うけど、男だって最初の女は生霊みたいに一生つい
て
回る話。最初の事はもう二度とひっくり返せないから。
だから、自分が手をつけた女を息子の初めてにあてがうって呪いみたいなものだと思いました。一八さんの初めてを、自分の使い古しで汚す呪い。恐ろしいで
す
ね。それを実の親子の間でやっているんでしょう。
でも、
「でも、一八さんは初めてじゃない」
一八さんが目を瞠って、初めてあたしをよく見てくれました。あたしの予想、女郎のカンもなかなかですね。面白かったか、興味を持ってもらえたか、あたし
は
まったく雌のようでした。
「どなたと初めてをなさったの」
あたしはまったく雌のよう。本当に雌でした。嫉妬をしていたんです、自分でもまったく恥ずかしい事でした。
「知りたいか。もっとこわいぞ」
低い含み笑いはあたしのおなかにずんと響きました、喉をくすぐられた猫みたいにもうくたくたですよ。
「知りたいですわ」
この時一八さんは、三島のお殿様とよく似た顔で笑いました。いいえ、お殿様だけじゃない、きっと三島代々の男と同じように笑ったんでしょう。三島らしく
笑ったという事になります。
「そうか……義理の弟にぶちこんでやったんだ」
ははは、一八さんはあたしの顔を見ながら声を上げて笑う。何にも言えませんでした。一八さんの真っ黒に透き通った目には嫉妬と恐れとで不細工になったあ
た
しが映っていて、それを一八さんは笑っているんです。
一八さんがあたしを抱いたかどうか?それは少しお待ちください。まだ続きがあるんです。
その数日後、また三島のお殿様はあたしに日を空けるよう指定をしてきました。あたしはまた一八さんに会えるのかと思って二つ返事でそれを受けました。そ
う
する事でお殿様のプライドに傷がつけばいいと思ってもいたんですよ、あたしはもうその時には完全に一八さんに入れ込んでしまっていたから。わざわざお殿様
の前で暦に丸なんかつけてみたりしてね。
でも約束の日に現われたのは一八さんじゃなかった、銀色のきれいな髪の毛の、髪の毛以上にきれいな男の子があたしを訪ねてきたのです。彼は男の子、って
感
じがしました。線がなにしろ細くって、絹糸よりも蜘蛛の糸みたいに透き通るような男の子でした。
その子の時も、童貞ではないとあたしは思いましたよ。そんな可憐な、女の子みたいなきれいな子なのに不思議でしょう。やっぱり女郎には何か特別に感じ取
る
ようなものがありそうですね。
「李超狼です。三島平八の紹介で来ました」
声変わりの済んでいない声がとってもきれいで、それから唇もきれいでした。あたしはきれい以上の言葉をあんまり知りませんが、とにかくきれいな男の子で
し
た。
でね、人形より女郎よりおっそろしくきれいでしたから、それでぴんと来たんですよ。まったくなまじの美しさじゃないんだから。
「一八さんの、義理の弟さんですね」
ああこの子に一八さんは初めてを差し上げたんだ、あたしはわかりました。
嫉妬は……あんまりしませんでした。むしろ納得したかもしれません。これぐらいでなくちゃ、一八さんは童貞を与えたりはしないでしょうと思ったんです。
半
端にきれいな女や、あばずれ女郎に与えるのじゃいけない事なんです。
「そうです。……ああ、そうかあんたは全部わかってるんだ」
砕けた言い方でもそれは少しも損なわれなくて、むしろ愛嬌みたいなものが生まれてますますかわいい子でした。一八さんとは違って濃き紫の着物に、そろい
の
灰袴を履いていましたね。真っ白な足袋も履いてたんですけど、足袋よりも脛のほうが白いぐらいに色白でした。白粉を塗りたくったあたしの肌とはまったく勝
負になりません。
一八さんの弟さんはあたしを見て、にやっと笑ったのでした。にやっと、下品なぐらいの笑い方でした。一八さんと同じように脚をばらんと投げ出して、膝を
立
てて頬杖。義理なのに不思議と似ているんです。
「そう、あの爺は僕の順位まで決めようとしたらしい。僕が一八について、結託でもしたら厄介だと思ったんだろう」
あたしの返事は必要ないかのように喋っていたけれど、急にこっちを見て尋ねるんです。
「……僕のはわかる?」
「初めてじゃないでしょう」
「へえ、……わかるんだ」
行燈の赤みのある明かりなのに、まつ毛はきらきら銀色に光るんです。それで燃えるような眼をするんです、冷たい顔のままで。そしてさらに尋ねてきます。
「それで、一八はどうしたって?」
「万全を期してから塗り替えると」
「ふうん、らしいね」
「あの」
あたしの言う事はすべてお見通しのようで、全部見抜いて納得して、首を横へ振りました。
「僕はいいよ。さっきも言ったけど初めてでもないし、それに一八が塗り替えるっていうなら僕もそうさせてもらおうかな」
「……え」
年にすれば十以上離れている子供に、いいように言われっぱなしでしたね。もう情けないというよりは、恐ろしい子どもたちに勝てるはずもないと思えばあき
ら
めもつきました。
彼にも一八さんへしたようにお酒を注いでいたんだけれど、こぼしそうになりましたもの。
「言っておくけどね、一八は僕を抱いたと言ったかもしれないけど……実際は僕に手を引かれておっかなびっくり川を渡ったようなものだから」
何も言えないあたしをお人形のようにきれいな顔で大笑い。その笑い方は一八さんに、三島のお殿様に、それから会った事もないけれど三島の代々の男たちに
そっくり。
こわい家ですよね、三島家って。ほんとうに。
「そう言えば、塗り替えはどうだった?」
李はベッドへ頬杖をつきかけて、肩口へくっきりとついた歯型の引き起こす痛みに細い眉を細めた。淡いベッドランプのあかりのなかでも痕は白い肌の上で紫
色
にくっきりと鮮やかだった。
「何の話だ」
満ち足りた声で一八が聞き返す。存分に、欲しいだけ与えられた後の一八は少し凶悪さの角が取れている。李はこの時間が好きだった、思いがけない本音が聞
け
たりもする。
「結局あの日私もお前もあの人を抱かずに済ませたろう?平八を超えた日に塗り替えると言って」
「当日に塗り潰した」
塗り潰した、ね。李は唇だけで復唱した。老いの追いつかない麗しい目元にはまだ熱が残っている。五十間近とは誰にも言わせない自信が李にはあったが、一
八
は会うたびに老けたと嫌味を言って李を憤慨させた。一八が言う当日とは、大会を制して平八を崖から投じたはるか昔のあの日の事だと李にもすぐにわかった。
「男は別書き、女は上書き。だから塗り替えてごらんなさい……か」
塗り替えるではなく、塗り潰す。一八は李が口にしたあの時の女の言葉を思い出している。
「……フン、まあまあの女だった」
泉下の女が小躍りして喜びそうな、李が目を剥きそうな事をつぶやき、一八は李をベッドから蹴落とした。
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