そして全ては彼の手に





一八は勝者となった。それが激闘だったのか、最後の一撃がどうであったのか、倒れた彼らの死に様はどうだったのか、一八は李にただ一言、
「倒した」
としか言わなかった。
昔自分がしたように、昔自分がされたように、そのどちらにも当てはまらずただ倒したとだけ一八は呟いた。
言うべき事は言ったとばかりに唇はとざされ、視線は壁の白さへ吸い寄せられるように固定される。
一八がまばたく。
しばらく壁の方を見つめていたためにか渇いた眼球に瞼がひっかかって、それはひどくのろのろとしたまばたきだった。李はもう何も聞く事は無いだろうと割り 切って、
「おめでとう一八、これで貴様は全てを手に入れたのだな?」
普段通りの、含みをあえてくどく見せる物言いでそう李が言ってやると、
「……ああ、」
普段の気丈な眉を張り損ねた、間抜けと言ってもいい顔で一八は李にようやく気づいたようだった。今の今まで交わしていた会話すら意識の蚊帳の外にあるよう で、
「……うん」
幼い頃、まだ二人が額同士をくっつけて笑う事のあった日のような、あの時の意地張り以外のへだたりなき二人のような、戯れに一八が唇をぶつけてきた時のよ うな。
その返答に李は毒気を抜かれて、
「おやすみ」
それ以上言葉を連ねるよりずっと正直に、今はただお休みと李は呟いた。
返事は無かった、けれど気配で、一八が頷いたのがわかる。
明かりを消した。

ドアを後ろでに閉めて、李は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
一瞬の歓喜、そしてそれから大いなる哀れみ、染み広がる寂寥感。


「これでとうとう、とうとう一八は全てを得て、そして同時に全てを失ったのだ」

李は一人酒を飲みながら、一八の事を考えていた。李は一八を思う、それは義務のようなものだった。
一八は眠っている、おそらくまともに眠るのは何年ぶりにもなるだろう。

もう二度とあの目があかく輝く事もないだろう、そして血を吐くような苦しみもないだろう、唇が裂けるほど笑う事もないだろう、飢える事もないだろう、李に 苛立ちを見せる事も相手の動向を気を張り巡らせて感じる事もないだろう暗殺の気配に飛び起きる事もないだろう、

「何もないだろう」
何もないだろう。
海がしだいに海岸を削るようにどんどんと奪うように、一八は失うばかりだろう。
悪魔と契約してまで果たした悲願は成就された、けれどこれからはどうする?どうなる?
悪魔が魂を奪えばまだよかった。
悪魔が一八の身を食い荒らして骨と皮ばかりになってそして苦しみながら死ねばよかった。
報いがあって、そして満ち足りて死ねばよかった。
なのに、報いは未だ訪れないでいる。眠りも食事もほぼ不要の、不老と成り果てている。
どうすれば死ねるのかもわからない。そして平八や仁を倒した今、誰が一八を殺せるだろう。
また一八は愚かだから、弱い誰かに殺されてはやらない。それがたとい母の敵やなにか、世界が認める大義名分があったとしてもだ。
そう、

「一八は愚かすぎる」
一八はまだ、自分が失ったことに気づいていないのが愚かでそして沈むほど哀れだった。今頃不思議に思っているだろう、どうして自分は勝者なのにこんなに打 ち沈んでいるのだろうと。
それが生きる理由を失ったせいだと気づかないのだ。認めるわけにはいかない一八の魂がそうさせていた。



「あのまま目覚めないほうがいい」
そのまま永遠に眠ったほうがいい、そうすれば屋台骨のぐらついていても達成感に身を潜めていられる。
永遠に、二度と目覚めない方がいい。



「つまりは私も全てを失ったわけだな」
ははは、
一八のように。一八以上に失った。もともと一八ほど持ってもいなかった。
それなのに一八のように失わなければいけない罪がどこにあったというのだろう。どれだけ罪深いとでも言うのだろう。

「私も眠ろう」
一八の隣で眠ってみようと思いついた。今日なら決して断られないという確信があったし、もしも抵抗されたら是非も無い事、殺してしまえばいい。当初のよう に。それで決着がついてくれるのならそれはすばらしい。
どちらにしてもいい。



願わくば目が覚めぬよう。

お前の隣で眠らせて。