一八の子にしては優しすぎる。
それが仁に対して李が最初に抱いた感想だった。
線が細いとは思わない、外見上の細さで言えば李のほうがよほどなよやかだ。母親である風間準の血は強く内面に作用しているようで、それが何か繊細さをにお わせているらしい。
しかし同じく母親から大胆さもまた譲り受けたようでもある。仁がいきなり一八へ共に暮らしたいと言い出した時など、あの一八が見せた面食らったような顔は 今でも李を思い出し笑いへ誘うのだ。

あいつの、三島一八について聞きたい。
そう言い出した仁に椅子をすすめ、そのうえで李が手ずから用意した紅茶はいい香りを立てて、二人の間へ流れている。
李は脚を組み替えて、それから額にかかった前髪をかき上げた。なんといってやろうかという時間稼ぎのつもりだった、目の前の少年(李からしてみれば彼など まだまだ少年である)は落ち着かない様子で李から目をそらす。
「一八の事を聞いてどうする?」
「………」
仁はためらいがちに、
「憎んでいいかわからない」
そう言った。李は透けるようなかがやきの睫をふたつまたたいて目を瞠る。
そして、
(やはり似ていない)
仁は正直すぎる。
一八とは大違いだとほくそ笑んでから、李はどうして自分は一八と仁が似ていない部分をこうも探すのだろうと不思議に思った。
ともかく一八と似ていない、その結論は李をよろこばせた。
一八ならいつも自分の感情に奔放であれども、弱みにつながるような感情は徹底的に間違いだとして排除するだろう。いいから聞かせろと突っぱねるかそれと も、もういいと話を切り上げるように思われる。
笑いを押し殺して李はうすい唇を舌で濡らした。なにかぞくぞくと上向きの感情が李の背筋を上っていく。
「風間仁」
「………」
「一八を好きになりたいのか」
尋ねると噛み付くような勢いで仁が顔を上げ、
「違う!」
語尾を食うように言葉を叩きつけた。その勢いがなんとも青臭く、李にとってはたやすく弄べる、付け入りやすい隙だった。
「なりたくないのなら、聞く必要は無いだろう」
意地悪、簡単に言えばそうしたものごとが実は李の好むところだ。誰かが自分の言葉でおろおろしているのを見るのは李の楽しみでもある。
「……その言い方だと、話を聞けば俺があの人を好きになるように聞こえる」
「そうだな」
「………そんな事になるかは、わからないだろう。俺が心置きなくあの…あいつを殺せるかもしれない」
言うなり紅茶をぐっと飲み干した。カップをソーサーへ置くと同時に顎を引いて李を睨むようにまっすぐに見据えた。
かたくなで強いその目付きは昔の一八によく似ていると李は思い、さきほどのぞわぞわとした感覚が戻ってくるのを感じる。
「私がお前に、一八のいいところばかりをいったらどうする」
「……あんたは俺に、あの人を殺させたくないのか」
あいつと言ってみたり、あの人と言ってみたり。やはり仁の中で決意はまだ固まっていない、李はそれを確認すると少し安堵した。そうそう決められては面白く ないからだと誰にでもなく言い訳のような考えを浮かべてみる。
しかし今、仁は何か李には理解しがたいような事を言った。
(誰が、誰を殺させたくないだって)
「え?」
「……だってそれは、そういう事だろう」
仁は気遣いと戸惑いのこもった眼差しで李を見て、おそるおそるだが鋭く届く言葉を口にした。言葉の矢に貫かれ不覚にも李は言葉をすべて失って、ただ口が開 かないようにするのが精一杯だった。
(子供のくせに)
頭の中でそれだけ、憎憎しげに呟く。思った以上に傷は深い。一八に対しての思いが血のかわりに噴出した。
李が何も言わないので、仁は続けて口をひらく。テーブルの上で両手を祈りのように組み合わせたりほどいたり、落ち着きなく動かしている。
「あんたとあの人は兄弟だって」
「血のつながりは無いがな」
「それでも、家族だった」
何を言わせたいのかうすうす李にもわかる。相手の手の内が読めれば一度乱れた脈も落ち着いていこうというもの。
李はテーブルに肘をつき、白い人差し指を青い血管のうすく透けるこめかみへ宛がった。
「どうして三島は争うんだ。家族なのに」
「家族だからかもしれない。…もちろんそこに私を含めてもらっては困る、それに答えはお前自身が既に知っているだろう」
握っていた手開き、テーブルを仁が打った。憤りが仁のまわりへ不穏な陽炎のように立ち昇るのを李は見た、それを可愛らしいとすら思った。
「俺は違う、俺はあんなふうに、あんなことはしない、俺はあいつらとは違う」
「それでお前はいったい、何を聞きたいんだ、風間仁」
仁が安心するように、李は風間仁と呼んだ。落ち着かせてからのほうが、次に乱した時にさらに面白い。
はたして仁は李の思惑通りに落ち着きを取り戻したようだった。

「それでも、わからないまま殺したらいけないと思ったんだ、だから少しでも知らなきゃいけないと思ったんだ、母さんのためにも、あの人を」
は、
真っ白い喉の奥から笑いがこみ上げてきて止まらない、李は唇をゆがめて、
「結局お前は一八を殺したいんじゃないのか、その理由が欲しいんだろう」
「違う!」
仁が立ち上がった。椅子ががらんと大きな音を立てて転がる。倒れた音に仁は自分で倒しておいて驚いたようだったが、それでも李を睨みなおした。しかし目に はおろかな動揺があからさまに見える。李はいっそすがすがしいぐらいに悪人の顔を見せた。
「違わない。お前は一八と暮らして迷っている、しかし殺したいから理由が欲しいだけだ」
「違う、食べたいんだ」

悲痛な声で仁が言った。広い部屋、高い天井へ声が反響する。たべたいんだ、そう響いた。
一瞬李は何を言われたかわからず悪人の仮面を外したままにして、唇を薄く開いて理解しようと試みる。
(何かの比喩なのか?)
食べると言って李が最初に思い出したのは性的な意味でだった。背中を走る震えが更に強まる、それは強い快感だとようやく知った。
(一八を?それは…)
李が歪んだ思考を巡らせているのを無視して、仁は椅子を律儀に立ててから再び腰を下ろした。深くうなだれると手を祈りの格好に組んで、いや、
(懺悔の祈りそのものだ)
ぼつぼつとくぐもった声を仁は漏らした。
「……時折無性に、あの人に噛み付きたくなる。夜になると喉が渇いて、歯が疼くんだ」
「歯が?」
李の脳内で広がっていた艶かしい桃色が吹き飛んで、かわりにもっと肉の色をした赤い想像が膨らんだ。
「……抑え切れない、俺はやっぱりあの人を殺したいだけなのか」
ふわりと暗雲が垂れ込めて、仁の周りをくすませていく。湿っぽい空気は李の嫌うところだった。
ハ、とあざ笑うように鼻を鳴らしてその暗雲を弾き飛ばした。
「それは、お前の中のデビルがそうさせているだけだ。…ふん、つまらん、お前の意思とは何ら関係は無い」
仁が顔を上げる。
(しまった)
李は舌打ちをしたい気分になった。仁があまりにも悲痛な声で暗く沈んでいたから、つい慰めるような事を言ってしまった。李にとっては甘いも大甘、優しい事 を言った自覚があった。噛み付いてくるように反論してくれればやりこめようもあったが、沈み込まれては遊ぶ余地は無い。そう強く思う。
優しい叔父様(義理)などするつもりはさらさらないのだ。
そう思っているのに、李は更に口を開く。
「一八が気にくわないのなら殴ればいいだけのことだ。私はそうしてきたぞ」
(俺は何を言っているんだ、これじゃ本当にやさしい叔父様(義理)だぞ?御免こうむる、こんなもの)
もちろん逆に、一八が気に食わないと李を殴った事もあった。むしろそちらのほうが多かった。
仁が顔をしっかりと上げて、目を丸くして李を見ている。強い羞恥心が李を襲った。
「だいたい顔色を伺うばかりで自分の考えを言わないからいけない。あれは馬鹿だから、言わないと百年たってもわからない」
(俺はどうしたんだ?こんな説教、汚い老人のするような、止せ、)
口汚く内心罵っていても何故か言葉は止まらない。そして李が何か言えば言うほど仁は素直に頷いて、顔を明るくしていくのだ。
「あんた…いいひ」
いいひとだったんだな、
それは李にとって美しくないと言われるにも等しい言葉だった。
李は仁が言い終わる前にヒステリー女のようにティースプーンを仁へと投げた。やすやすとつかまれて、怒りが腹の底から沸く。
しかしそこまでみっともないところを見せたために、李の頭は冷えた。舌なめずりをして毒を吐く。今こそ、仁が浮上しかけた今こそ何か言うべきだと頭を巡ら せた。

「知っているか、ふん。性欲は食欲と錯覚される事が多いそうだぞ」
「え?」
「デビルは案外、一八を抱きたいのかもしれんな。ああ、悪魔は両性のものもあるそうだから」
「………え?」
仁の顔が曇る、いや、曇ると言うよりも混乱している。李はふたたび背筋を駆け上る快感に身をひたした。ようやく自分らしさが戻ってきている。
「悪魔は禁忌を好むそうだし、近親で同性ならたいした役満だな」
青ざめるか、それか、怒るか。
李は子供を打ち倒した勝利の快感に骨髄までふるわせている。大人気ないという声がかすかに心で聞こえたが踏み潰された。
しかし、仁の反応は李の想像したものとは違った。

仁はみるみるうちに頬を赤らめて、
「だから、あんな夢…」
小さく呟いたのだった。青少年そのものの顔だった。李はそのつぶやきを聞きとがめる。
「夢、」
しかし、
「っ俺は!違うあんた達とは違う!あんた達みたいに義理とは言え兄弟で!男同士で!あんな事はできない!俺はしない!」
李が口を開く前にさっきの激昂とは違った、子供がわめくようなざまで仁は立ち上がって怒鳴った。椅子が本日二度目に倒されて悲鳴を上げる。
「ほう、あんな事、とは?」
うつくしい眉を吊り上げて、いかにも興味があるといった素振りで李が畳み掛けた。仁がますます赤くなる、引き結ばれていた唇がふるえて言葉も散らかってし まう。なにかを見たのだろうか、それとも青少年らしく妄想たくましくしたのだろうか。どちらにせよ李にとっては楽しい。
「し、知るか!俺は違う、あんたとは、まともなくせにあんな、あんな」
しどろもどろになった仁に引導を渡してやるべく、李はあでやかに笑った。飲み干した紅茶のカップは既に乾いている、そろそろ引き際だと見極めた。

「私も銀髪の悪魔だから、それなりに禁忌を好むのだよ風間仁。お前は好みじゃないから安心したまえ、……一八と違って」

今度ティースプーンを投げるのは、仁の番だった。