三島の血は、……俺が導く。
眠たいのか、半眼になって頭を左右にゆらゆら揺らしながらも懸命に起きようとしている。
「……俺の質問に答えてくれ」
「…うん」
子供は素直に頷いた。ベッドの上で仁は胡坐をかき、子供はその正面に膝を立てて眠たげに大きくあくびをした。
窓からはレースのカーテンにやわらげられた休日午前のあたたかな陽射しが差し入ってきて、ベッドを照らしている。
洗濯物がよく乾きそうなよい天気であるにも関わらず、仁の表情にはどろどろと雲が垂れ込めていて暗い。
「……名前は」
尋問のような乾いた響きを仁は心がけた、けれど目の前にあるのが幼い子供であるせいで何かこそばゆいように届く。
子供は眠そうにゆるがせていた顔を上げた。滑らかな頬には布団のあとがついて、瞼はむくんでいる。威勢のいい、見覚えのある格好をした眉が持ち上がった。
むい、とほんの少し突き出していた唇が開く。
「みしまかずや」
「……………」
かすれていない変声期前の声でされた返答は深く仁の中に突き刺さり、沈黙を引き起こす。
「……」
いきなり忘我の態で、子供が見つめるのもかまわず目の前の男は自分の膝を指先が白くなるほど握り、なにやらぶつぶつと間違ってもありがとうなどという響き
のよいものではない言葉を唱え出す。子供、みしまかずやはそれを恐れもせず、ただ変だな、という顔で見やった。
「みしまかずや」
抑揚のない、平坦な、しかし細かく震える声で仁は繰り返した。うつむき、前髪がおりて顔にかかっているため表情はかずやからは見えない。
不気味だと思ってもよかった。
なにしろかずや、どうして自分がこの男と眠っていたのかまるで記憶が無い。
ただいきなり名前を呼ばれて(今繰り返したずねたくせに)乱暴なのか丁寧なのかどちらつかずのゆすぶりを受けて目覚めみれば、いきなり暗い暗い顔で緊迫し
た空気の中膝を突き合わせて座らされ、名前を尋ねられた。尋問といってもいい。
「うん」
なんと言っていいものかわからず、かずやは頷いた。呼ばれたかどうかもわからなかったが、応えた。
「……みしまかずや、ほんとに、うそじゃないんだ」
仁は胡坐をかいていた膝を立てて、そこへ顔を伏せてしまった。背中を丸め、何か子供が泣いているような格好になってしまった。
かずやは一人放り出された格好になる。名前だけ言わされて、そして目の前の男は自分の名前を聞いておいて酷く消沈している。
「……おまえは?」
今のところ自分がどうしてこうしているのかわかっているであろう人間はたったの一人。かずやは賢い子供だった。多少わがままだと母にたしなめられるほどで
はあったけれども。
そしてかずやは目の前で萎れている男、仁のそばにシーツを膝でにじり寄って、触れていいものかわからないためにその傍らに膝立ちになると尋ねた。
返事はしばらくなかった。
焦れたかずやがもう一度口を開きかけたところで、
「風間仁」
ためらうようにひっかかりながら仁は名乗った。名前を聞いても、かずやには思い当たるフシが無い。しかし、うつむいた仁の後頭部に自分や父親に良く似た髪
の毛の癖を見つけると、
「…おまえ、しんせきか?」
親戚、意味は知っている。しかし読めない書けない。かずやは膝立ちをやめて、ぺたりと仁の側に座り込んだ。毎日平八にしごかれてはいるもののまだまだ未発
達なかずやとは違い、すみずみまで理想的にたくましく引き締まった仁の体つきはかずやの目を思わず惹く。
かっこういいな、かずやは歳相応に顔を明るくした。
「……そんなところ」
顔はろくろく見てもいないからわからないとして、体ほどには仁の声はかずやの気に入らない。ぼそぼそと答えるのが気に食わない、男ならもっとはきはきしゃ
べればいいのだといらいらしながら聞いていた。
ともあれ名前はわかった。そして三島につらなるものだともわかった。それで十分だった。
「そうか。じん、」
「…………」
いきなり名前で呼ばれ、仁は顔を上げた。
目の前には黒々とした目をいきいきとさせ、自分の顔を覗き込むように顎を引いたかずやの顔がすぐそこにあった。今にも肩をゆすろうとしていたために息がか
かりそうなほど近くにて目がかち合う。
仁にとっては見覚えのある面差しだった。彼ばかりを考えすぎて頭の中が埋め尽くされるほど、彼とかずやが同一人物であるとすぐに判断が下される。
しかし、かずやはあの全身にみなぎる邪悪の気配が抜け切っており、同一に重ねようとも質が違いすぎた。
「腹がへった」
「……そうか」
自然とかずやの指は仁の肩へかかった。以前一八に触れられ、一八自身何の他意もなかったにも関わらず振り払ってしまった仁だったが、それを払いのけようと
は思えないでいる。
小さな手だった。
「じん、腹がへった」
「……ああ」
のろのろと仁はベッドから降りた。考えるのは後でも出来ると、一旦すべての思考を停止させる。
「じん!」
「呼び捨てにするな」
犬を呼ぶように気軽に呼ばれた仁は思わず振り返ると、ベッドの上で足をばたつかせるかずやを咎めた。子供の頃から仁は多少のやんちゃをすれこそ、目上年上
の人間に礼儀を欠くような事はした覚えが無い。
かずやはそれなら、と首を傾げた。首の傾げ方が大きく、かわいげすらある。仁が覚えている一八にああした仕草の名残はあったろうか。
「じん……?」
仁はさっさと部屋を後にした。ともかく朝飯を作らねば、
背後で小さく、にい、と物騒な呼び名が生まれている。