あの人は寂しい、かわいそうな人。
母さんがそう言うのを聞いていたけど、母さんが亡くなってからはずっと忘れてた。忘れるようにしてたんだ。
俺はただ憎むことにしていたから。
最初っからそうしようと思ってたわけじゃない、あの人、三島一八は俺を息子だと思ってすらいなかった。
風間 準の息子とは見てくれているんだろう、それだけが救いだと思う。おそらく俺を三島
平八のように利用したあげくに殺したいとは思わなかったと思いたい。邪魔なら殺すぐらいはするだろうけど。
あの人の目的は俺の中の悪魔だけだ。そのためだけに俺を求めた。違いは殺したいか、そうでないか。
なんて浅ましいんだろう。でもこの人達、三島の男たちは脈みゃくとそれを続けてきたんだと母さんは教えてくれた。家族同士で潰し合い食らい合いを続けてき
たんだと。
あの人、三島一八の胸にある大きな傷がその証なのだとも。
どうしてついたのか、興味も無かったから聞かなかったけど、母さんは悲しそうな顔をしていた。
俺には関係が無い。
殺し合いたいなら俺を巻き込むなと言ってやりたい。
けど、もう俺は目覚めてしまった。
目覚めた悪魔の声は大きくて俺は押しつぶされそうになる。
「怒れ」「呪え」「憎め」
それらすべてが入り混じって俺の頭のなかで、いつしかあの人の姿が像を結ぶ。憎しみ怒り呪いの声でできたあの人は俺を冷たく見下ろした。背中がビリビリす
るような冷たい笑い顔が鮮やかだった。
俺の頭の中はたちまちあの人でいっぱいに埋め尽くされて、その周りはドス黒いなにか汚いものであふれて、吐き気がする。
俺の悪魔はあの人の中へ戻りたいんだろうか、それとも食いたいんだろうか。少なくともあの人の悪魔は、きっと俺の中の悪魔を食いたい。俺もおまけのように
死ぬ道をあの人は望むんだろうか。命ぐらいは情けをかけるだろうか、風間準の子である事に免じて。
何か悪い事をしただろうか。俺も母さんも。母さんはあの人を愛したかもしれない、そして俺を生んだ。俺は何をした。ただ生まれて、選んだわけでもないのに
求められた。俺をじゃない。利用されて捨てられるだけなんてうんざりだ、親子喧嘩の手ごま?冗談じゃない。
俺をこんなにしたのはあの人だ。
頭の中のあの人が俺を笑う。
けれど、頭の中のあの人が現実のあの人と違う点がある。
頭の中のあの人は、俺だけを笑っているということ。俺の頭の中にいるのだから当たり前といえば当たり前だ。
現実のあの人は誰も彼もを見下している。誰も信じていないっていうのはあながち噂じゃなさそうだ、家族とだってああなんだから。ましては他人なんて損得勘
定しかないだろう。
でも。
『あの人は寂しい人よ、誰もあの人に優しくしたり、愛してあげたりしなかったわ』
母さんの言葉が本当なら。
俺こそがあの人を笑う立場だ。馬鹿な人だ。
もうあの人の血縁で、あの人を愛してあげられるのは俺だけだというのに気づかないんだろうか。
あの人は母さんをきっと愛した、だから俺を風間 仁と呼ぶ。仁じゃ、意味が無い。『風間』仁だから意味がある。
あくまで俺を三島とは無関係の、風間 仁として。
母さんがいなくなって、もうあの人には俺しかいない。そう思うと急に憎しみが哀れみに変わった。何十年も父親と争って、母さんを亡くして。
新しい人を探すだろうか、多分そんな事はできない人だとなんとなく思う。母さんのようにあの人に一目置かれる実力があって、悪魔のような(実際悪魔だ)あ
の人を掛け値なしに愛してあげられる人はもういないだろう。なにしろ他人だから。
肉親に裏切られ続けた(らしい)あの人こそ、肉親の愛情にもっとも飢えている人だと母さんが教えてくれた。
俺には母さんの愛情があった。俺を育て、そして俺の中の悪魔を抑えてくれる。
その俺にあるものは、あの人にはない。
いい気分だ。ざまを見ろという気分だ。
そのうちあの人が寂しくてたまらなくなる日が来るだろう。
『とても強いわ、身体的には。けど、その実とても脆いところのある人よ』
母さんの言うとおり、三島平八を殺して、世界を平らにして、全部手に入れたあの人は何にも持っていないという事に気づくだろう。
俺しかいないのに。
『優しさをしらないの』
かわいそうだと、思われたら屈辱だろう。それならもっと哀れんで、優しくしてあげよう。
なにしろ俺しかいないのだから。
もしかしたら、俺もあの人しかいないのか?
それならそれで、俺とあの人で完成するならそれもいい。
だって最後は、俺が勝つ。