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曹操、指を三本立てて曰く       解放(遼操惇)





曹操、指を三本立てて曰く。
「三月だけだ、」

死に行く覇王は、ゆったりと、呟いた。

「三月だけ、」

























覇王曹操は逝った。
見事なまでに全てを、文化、政、建物、学問、
全てを次世代にぽおんと投げて渡して、逝った。
彼の最後は小さな庵で、静かに、せせらぐように。
生涯を花開いた男は、椿のように、ほたりと。散った。

死の直前、一人の男が訪れた。
およそ床を見舞うとは思えない、
華麗なる戦装束に、武器を携えて、
「あの人をどうされるのですか、」

張遼は問うた。

「夏侯惇将軍を、どうされるのですか」
























うっすらと、うっすらと目を開いて、
「張遼、」
死の匂いをぷんとさせて、それでも覇王は決然としている。
だいぶやつれて、頬骨がくっきりと浮かんでいるその顔で、
かつての奸雄然とした、人の悪い笑みを浮かべて見せた。
「はい、」
「そろそろ儂はゆく」
「…はい、」
「………のう、」
何事か、張遼に問いかけるべく曹操は唇を開く、が、すぐに閉じて、ふぅむ、と目を閉じた。
ためらっているようにも、うずうずしているようにも見えるその態度に、張遼から切り出した。

「『あいつがやり遂げたって言うなら、それでよかろう』と」


ふぅむ、

今度は満足したように、息をついた。

「あやつらしいではないか、死んでくれるな、俺を一人にするなと泣いてくれもせぬ。薄情な奴よ

、のう?」
「まさか、」

張遼が僅か苦笑を浮かべ、
「どうだと誇るがよろしかろう、私は貴方には結局、敵わなかったのですからな」

天を仰いだ。

























恥ずかしい話をしよう。
ある夏の夜だ。
鈍い光を放つ月の下で。
二人言葉の隙間に酒を挟むうちに、張遼は溢れた。
はじけるように決壊した言葉は次々と形を成していく。


















「夏侯惇殿、夏侯惇殿、私は、」
「貴方が好きで貴方が好きで、もうどうしても駄目なんです」
「どうしたら良いのですか、どうしたら」
「貴方の名前がこびりついて、」





















「どうしたら私を貴方は選んでくれるんですか」
縋り付いて、縋り付いて、
いつもの取り繕う余裕なんて全くなしに、涙すら零して無様に膝まづく。
「どうしたら、どうしたら貴方は、」
私を選んでくれるのですか――――

その言葉だけは、飲み込んだ。
僅かばかり残った矜持が、それを許さなかった。
それを聞いたら、全てが終わってしまうような気がして、私は、泣いた。
「ああ、」























「俺は、」
静かに、ただ私の腕の中でいた彼は、永遠とも思われる沈黙の後で、
そっと呟いた。
「俺は孟徳のもので、俺の意思すら関係なく、全てがあいつのためにあるんだ」
私はうう、と呻いて、縋りつく腕に力が込められた。
彼は揺るがずに、私の頭に手のひらを統べた。
微笑む。
力強く、
力強く、
「だから孟徳が俺を要らぬようになったら、そうしたら、」

そうしたら、
私はその時の、彼の笑顔を忘れない。























「三月だ、」
三本の指を立てて、曹操は笑った。
「儂はあいつを、三月だけ解放してやろうと思う」

寝台に埋もれるように横たわりながら、窓の外に目を向ける。
未だ冬は過ぎ去らぬ、切れるような冷たい大気が満ちていた。
時折、子供の笑い声が聞こえる。
「殿、」
驚きに目を見開いた張遼を制して、もう一度曹操は言った。
「三月だ、三月経てば、儂はあいつを迎えに来る」
皺の刻まれた目が、
ぎろりと、睨む。
「それまでに、儂から奪えればもう、咎めはせぬ」


「奪えるものなら、やってみよ」


























張遼は一言はい、と答え、
旅立つ覇王に、心からの一礼して、見送った。
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