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「おい、飯にしよう」
夏侯惇殿がそういって、靴を脱いで上がりこんできた。
困った。そう言われてもうちに何か食べられるものはあっただろうか。
私の顔にそれが表れてしまっていたのだろうか、見る見るうちに不機嫌になる。
食事ができないことに対してではない、私の不摂生を怒っているのだ。
こんなことを言えば怒られるかもしれないが、怒っている彼の顔は私のことしか考えていないようで、
すきだ。
「仕方あるまい、おいどけ、俺が作ろう」
そうこうしているうちに私を押しのけ、袖をさっさとたすきがけにすると台所へと彼は入っていった。
私も追う。ぼやぼやしているとどやされる。
彼はまず、前回来た時においていった醤油の広口の瓶を取り出した。この醤油には皮を向いたにんにくが全体の体積の半分ほど漬け込んである。そのためか黴が
浮いたり腐ったりすることはないようであった。
「飯はあるのか」
「ああ」
思わずある、と答えてからすぐに、しまった、と反省した。
あるにはあるが、昨日炊いてからそのままにほったらかした冷や飯で、ごちごちに水分をなくして硬くなっているのしかないのを思い出したのだ。
醤油の瓶から真っ黒に醤油のしみこんだにんにくを三つ菜ばしで取り出している彼。料理完成間際になってやっぱり冷や飯で使えませんということになるのはま
ずい。
大変に、よくない。
「あるにはあるが、冷や飯だ」
言った。こんなことにも少し緊張を覚える自分が少しなさけないが仕方が無い。
彼の反応を伺うも、そのにんにくを小さくみじんに刻んでいるだけ。
眉がわずかに上がるのが見えて、目元が緩んだ。
「だろうと思った」
「はは」
「笑い事でないぞ、馬鹿」
笑ったら怒られた。おお、何か手伝わなくては。それこそ怒られるでなく殴られてしまう。
「何か」
「卵を三つ、割ってほぐしておけ」
簡単な注文だ。簡単すぎる。
私の地位はとてつもなく低いのだと知らされて切なくなった。
ここは挽回しておきたいところだ。器に卵を割りいれる。
「あ」
思わず声が出た。力加減を間違えたため、卵と一緒に大量の白い異物、カラが混じってしまう。
彼を盗み見た。どうやら白ネギを刻むのに夢中で気づいてはいないようだ。この失態は隠さねばならない。
菜ばしで一つ一つ丁寧に迅速に、カラを取り除く。
ようやく三つ卵を割り終えたころには、かれは中華なべを火にかけて熱する段階であった。
いつもながら速い、彼によれば速くなくては料理はいけないとのことである。
「卵は」
「出来ているとも」
内心ひやひやしながら器を差し出す。片目が探るように細められた。どきりとする。
「ようし」
彼が鍋に向かう、どうやら合格のようだ。
油。たしか落花生の油を鍋に馴染ませた所に真っ黒の醤油にんにくを入れてよく炒める。
「油に香りをうつすのが肝心だ」
確かに、醤油の香ばしい匂いとにんにくから出た匂いが混じって鼻をくすぐる。
そこへ、かつおの塩辛を刻んだものを少量。単品では私は苦手だ。塩味もにおいもきつすぎる。
不満そうな顔をしていたのだろう、彼はまた、笑う。
「まぁそんな顔をするな、どうだ、いい匂いだろう」
そんなわけは、と思ってはいたが、どういうことだろう、妙にくすぐったいような匂いだ。
「おお、生臭さが消えた」
「そうだろう、こうやって油で炒めてやれば匂いもそんなに気にならないし、塩味も全体に行き渡って薄まるんだ」
ネギのみじん切りを投入。びっくりするくらい多い。夏侯惇殿はネギが好きなのか、湯でもなんでもネギを入れる。私は、夏侯惇殿が好きだというので好きだ。
「おい飯」
「ん」
言われるがまま冷や飯を渡す。普段足りない気をきかせてほぐしておいたのだ。気づいたらしく肘で小突かれた。きっとやればできるじゃないかとかそういうと
ころだろう。
飯を入れてから彼の額には汗が浮かぶ。
腕を大きく振るって鍋を、円を書くように一身に動かすのだ。とめない。とめてはいけないのだという。
普通卵は先に炒めておくものだと聞いていたが、彼は最後に入れる。それも器を素早く動かして糸のように細く流しいれるのだ。
そうすることで、鍋肌で熱するのではなく、飯の熱で火を入れるためにふわっとふくれてうまいのだそうだ。
卵を入れたらすぐに火から下ろす。塩辛の赤みある茶色が飯全体にまぶれて、いかにも味がよくしみていてうまそうに見える。
「まぁ、見事に具という具のない飯だが」
「いい匂いだ」
「二人で食べるだけなら別によかろう」
「二人でなら」
「馬鹿」
「おい、俺が運んでおくからお前、ビールとってこいビール」
「はぁ」
「あと、後片付けもよろしく」
「……はぁ」
飯は、とてもおいしかった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「たまには肉でも食え、」
肉はあまり得意ではないといえば、
「それじゃあいざって言う時に馬力が出せんだろうが」
と怒られた。
「心配せずとも、そなたの相手をするのに障りはあるまい」
「馬鹿」
また怒られた。
肉は血の生臭みがするような気がして、いまいちに手を出す気持ちにはなれない。
どうせ戦場に出れば嫌でも血をみるのに、どうして平時にも血を見なければいけないのだ。
魚も好きではない。あの濁った眼、鼻にくる臭い、臭い。
「魚を食べんと、背が伸びんぞ」
「母君のような口を利かれる」
「何事も満遍なく摂れ、お前のように米ばかり適当に食っている奴を見ると怖いわ」
言われてみれば彼の肌と違って、私の肌は生白く、眼の下には青黒い血の凝りがある。肌に艶もない。
彼の肌はどういっていいのかわからないが、『満ちて』『張って』いるのだというのはわかった。
「ふむ」
「肉だってな、処理の仕方ひとつで随分違う」
手を伸ばして彼の手の平を握る、自分の手の平で包み込んでみる。
武人の手の平だ。武器を扱う、硬い手の平。
だが、しっかりとした厚みと黄ばみの見えないなめらかな表面の爪は彼の壮健さを私に伝えてくる。
私の手の平はどうだ、かさつき、ひび割れ、爪の表面は凹凸の溝も深く黄色い。
すこやかでない。
わたしは、すこやかでない。
「ならば、肉を食べるとするかな」
「おう」
「お任せしても、よろしいか」
「おう、任せておけ」
どんと拳を作って叩いた彼の厚い胸はいい音で鳴る。やはり健やかなのだろう。
彼は持参してきた竹の皮の包みをほどき、見事に白と桃が層になった塊肉を取り出した。
「豚のな、あばらの肉だ。あぶらがついていて、甘い」
「あまい?」
「いいあぶらは、甘い。飲み込むときにいい香りもする」
「ほう、」
「信じられんか」
「にわかには」
「これをまず、茹でる。いくら甘いとはいっても、全て摂っては身体に障る」
彼は大鍋にたっぷりと湯をくらくらと煮立たせた。肉を切り分けるでもなく私に、
「おい、お前の戦装束をありったけ持って来い。ありったけだ、布団でもいいが」
と言いつけた。布団といっても床に臥して、ごみに埋もれながら寝ていることを知られるわけにはいかないので、放り出したままであったありったけの戦装束を
部屋に駆け込んでかき集めて戻った。
彼は戦装束の一端を摘み上げると、自らの鼻先に近づけて臭いを嗅いだ。私は慌てて奪い返す。
「何をするのだ、人の衣服を嗅ぐなどと」
「いや、お前のことだ、洗濯もろくにしてはおらんだろうと思ってな」
「洗濯くらい、する」
「そうか」
「もちろん」
せっかく運んできた戦装束に文句をつけられてはたまらないと肩をいからせれば、苦笑されて額を小突かれた。
「はは、そうむきになるな」
彼は塊肉をそのまま、鍋に放り込んだ。湯の表面にさぁっとあぶらが散る。
「塊のままでいいのか」
「おう、切ってしまってはあぶらもうま味も流れるのでな」
ほんの十数えるだけ火にかけると、鍋を火から下ろした。到底火は通ってはいないだろう。
確か生肉を食べると身体を壊すのではなかったか、どういうつもりなのか。
彼はその鍋を私に集めさせた戦装束を使って何重にも厳重に、隙間なく包み込む。
彼が何をしたいのか、皆目見当もつかない。
「ぼやっとしているな、ほら、にんにくを下ろせ」
私は結局なにもわからないまま押し付けられたおろし金を使ってにんにくをただ下ろすしかなかった。
戦装束を一枚一枚はがして、鍋を取り出す。蓋を開けば、意外なほど温度を高く保ったままの中身。
塊肉を取り出すと、包丁で薄く削ぎ切りにしていく。包丁が柔らかい肉を圧し切るたびにじゅっとあぶらと肉汁がまじりあってまな板にしたたった。表面は白く
なっているが、中身は薄く桃色づいているのが見える。
「ぐらぐら煮ちまったら硬くなるし、あぶらも流れる、臭みもでる」
さっ、さっ、と包丁が動くたびに湯気を立てる肉が薄切りにされてゆく。
大皿には大根を細切りにして水にさらしたものを山と盛り付けてある。そこへ花びらのように桃色の肉を並べて、上からにんにくと醤油、鷹の爪で作ったたれを
ざっくりかけまわせば、
「さぁ、食おう食おう、」
完成となる。
縁側で、小皿にとりわけながらようく冷やした酒と共に食事を始めた。
月うす雲の向こうよりぼんやりと光を投げ、ぼうっと緩やかに時間を流す。
私が懸念していた肉の血なまぐささはまったくない。それどころか、にんにくの匂いで食欲をそそる。
なるほど彼の言ったとおり、あぶらが甘い。かみ締めるたびに口一杯に肉汁が広がって思わず酒も進む。
全てのしつこさは、大根の水気とかすかな苦味が火消しとなって喉へと追いやってくれる。そうなると、また箸が進む。
「うむ」
「うん」
「うまいか」
「うまい、これは、」
「いいだろう」
「いい」
彼は満足そうだった。
唇が、あぶらにてらてらとしている。舌がのぞいて、舐めとっていく。
「精はついたか」
「ついた」
「そうか、よかった」
「元譲」
わたしは呼んだ。
「あん?」
「試してみるといい」
「ん?」
「私の一物もこのように天を向いて」
「死ね」
すごく殴られた。
彼は野暮の癖に、雰囲気というのをとても重んじる。
胸に刻むことにした。
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