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食らう鬼二人     媽


こうして鬼は、人に交わって暮らすことになったのです。
鬼はずっと一人きりでした。
鬼はずっと一人きりでいるつもりでした。
どうして鬼は、人に交わって暮らすことになったのですか。





























何はともあれ二人、卓についた。
随分と古いものであるようで、卓の表面には細かな傷がついている。
しかし毎日布巾と渋で磨いているのか、つやつやと深い艶を出して見事な色を出していた。
「お待たせしましたよぅ、さぁさぁたっくさん召し上がって下さいナ」
ぷっくら膨らんだ頬に料理のできばえに対してか満面の笑顔を浮かべ、太い腕に大盆を伴ってどやどや桂花が戻ってきた。台所にいたこともあってか、顔がかっかと上気している。丸い満月のような体躯をものともせず、素早く盆を卓に下ろして食事の支度をする。
「だんな様方、今日はご馳走ですからネ。残したら承知しませんよゥ」
軽口を叩きながら桂花はさっさと取り皿を並べ、二人の前に古いが象牙の箸を置く。並べ終えるとすぐに器に濃い色の茶を注いで差し出し、熱いので気をつけるように言い置いて、
さぁっ、
と掛け声をかけて、大きな丼をどんと。

見るからに熱々とした、なんともいえぬよい匂いを上らせた汁がなみなみ注がれている。
汁には牛蒡や大根、人参に山芋がごろごろと大きいまま入れられ、生姜は細切りがこれまたたくさん、おまけに動物の内臓がどっさり。だがこれだけ色々雑多に入ってはいるものの汁の色はほんのりとあくまで薄く透き通っている。
「ざくざく食べて下さいナ、油は全然使っていませんから身体に辛くないですよゥ」
さぁさ、熱いのがご馳走――、
桂花は笑って、再び台所へとどやどや慌しく戻っていった。


「おう、さ、張遼。熱いうちがご馳走だと」
桂花の勢いに圧されたようにぼんやりと口を半開きにしたままの張遼に、夏侯惇は相手の箸を取って手渡してやる。張遼も我に返ったように箸を受け取り、ずっしりと丼に手を添えて持ち上げて、

「では、いただくとしよう」
「おう、」

二人それぞれに丼を抱えるように、食べ始めた。










正直な所、張遼は全く食欲というものが希薄であった。あまり食べると体が鈍るし、戦に美味いものなど不要だし、身体が滑らかに動けばいいとそれだけしかなく、いつも適当に配給されるものに塩をかけて食べていた。酒も茶もやらず、ただ生水は沸かして飲む程度である。
魏国に降ってからもその食生活は変わらず、この三日は配給された食料を持て余しては腐らせていた。そんな中でのこの『ご馳走』に、少し気が重い張遼ではあったが、一口その汁をすすって、
「むぅ、」
と一言唸ったきり、押し黙った。黙って、そして、猛然と、猛然と食べ始める。
素朴極まりない、ただ材料をごったに煮て、味をつけただけの汁である。だが桂花は、本来くどくて臭みの強い内臓を何度も茹でこぼしては臭みと不要な油を抜いた上、野菜を全て均等な大きさに揃えて弱火で煮崩さぬよう気を配った。そして仕上がった汁はすっきりとした後味と、じんわりしみこむような旨味だけを残していた。
張遼は丼を抱え込むようにせわしなく箸を上下させ、口に運んでは汁をすする。
旨味と滋養が、一口ごとに身体にいきわたるようだと、改めて張遼は自身がどれだけ渇いていたかを自覚した。
気付けば額にはしっとりと汗が浮かび、つま先がじんと温かくぬくまっている。
息をつかせぬ程の激しい勢いで汁を一滴残さず飲み干すと、
「あぁ、」
とため息をついて椅子に背中を預けた。紳士然、彫像のように冷えた面を脱ぎ捨てて暑い、と胸元を仰ぐ。
ふと、横を見れば夏侯惇が、にやにやと人の悪い笑みを浮かべて笑っていた。
ふふんと得意げに、張遼を箸を持った手で指さし、目を細める。
「美味かったろ、」
「………そうですな、」
張遼は、顔を背けた。























(いい傾向だ、)
夏侯惇は茶を口に含みながら、そっと張遼の横顔を盗み見た。
初めて見た時の張遼はそれは酷い有様で、張り詰めた糸のようであった。
人とは触れ合わぬよう全身から威嚇し、死に急ぐような張遼をどうしてもそのままにしておくことは出来ず半ば無理やりに家に連れてきた。
(飯を食って、風呂入って、寝て、そしたら誰だって死にはせん…そうだろ、孟徳)
一人君主へ呼びかけて、夏侯惇は微笑む。
しかし、なんともおぼつかない風情で食事をする男だとつくづく夏侯惇は眺める。
先程からぼたぼたと里芋やらを卓に落とし、拾おうとして何度も失敗している。
どうやらそれは、箸の持ち方にあるようだった。
いわゆる『握り箸』で、張遼は食事をしているのだ。見るに見かねて、とうとう夏侯惇は口を出した。

「おい、お前箸の持ち方が悪いぞ」


危なっかしい張遼の手つきに夏侯惇はその手の上から手のひらをぎゅっと重ね、正しい箸の持ち方になるように握って正した。張遼はなんとも言えない顔になり、もごもご口元を動かしてそうですかな、と言って、真剣な目つきで手元を正す。
(―――まるで母親のようだ)
張遼は思わず、子供を背負った夏侯惇がほっかむりして食事の支度をしている姿を想像し、そのあまりのいかつさ、滑稽さ、そしてちょっと似合っているなという気持ちになった。ちょっと、少しだけ、笑う。
自分の母がこうであったら、楽しいだろうな。
いかつい母親はまだ、張遼の手を握ってあれやこれやと言っている。



































ふと、張遼の口元を眺めると夏侯惇は眉をしかめて皺を寄せる。赤い――人参がひとかけ唇についている。
箸の持ち方といい口元に食べ物をつけていることといい年下の、弟のごとき夏侯淵を思い出すがまま手を遠慮なく伸ばして、
「ついてるぞ、張遼」
そのまま取って、自らの口に運んだ。

「あ、」
「母上、」
「……母上?」
「……あ」


























鬼神二人、次の料理が運ばれてくるまで、しばし赤面しあった。



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