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土鍋通い2(張遼→夏侯惇)


さて、こまったことになった。


張遼はふわりと襟飾りを巻いて、腕組みをして当面の敵と向かい合った。
難しい顔をしている。
困っていた。
とても、困っていた。
正座をして、腕を組んで、時折ふぅむと唸っていた。
目の前には、古ぼけた、土鍋。
一抱え程の大きさで、ところどころ欠けている。

中身は無い。
鍋底には茶色の焦げが見える。
蓋は取っ手にひびが入って側の床に置いてある。


天下無双の鬼将軍、張文遠、ただいま土鍋と真剣に向かい合っていた。
絶望的な状況だが、機知と覇気でどうこうなるとも思えなかった。






























目の前には土鍋。
古ぼけた土鍋。
もうずいぶんと使い込まれ、すすけた土鍋。
これは先日、夏侯惇が料理を詰めて持参した土鍋であるが、帰る時に彼はこう、言った。
「次はお前が詰めて来い」

そのため張遼は現在、家の居間、板敷きの床に向かい合い土鍋とがっぷりにらみ合いをしている。
議題は勿論、何を詰めるかで、どん詰まりに行き詰っていた。

「さて、」
足を崩すでもなく、背筋を曲げるでもなく、どこまでも普段どおり対峙している。
が、相手は土鍋である。
この口も無い手足も無い相手をどうしたものか、張遼はすでに半時は考え込んでいた。
もちろん中に入れるのは料理だというのは決まっている。
だが、料理などまったくしたことのない張遼にとって、何を入れたらいいのかまったくわからない。

料理ができない→土鍋に入れられない→夏侯惇に会いに行くことができない。

それは困る、大いに困るのだ。
それにまず、今は初春。ようやく空気も切っ先を緩め、地面からぬっくりと福寿草が顔を出し始めた頃。
つまり、たいしたものは到底望めない状態にある。
青々とした野菜も、果物も、魚、肉、何もない。
米、小麦、それと多少の乾物だけ。
だいたいにして張遼は料理などしない。以前にもあったように、夏侯惇が見ていない際にはふかした米に塩をかけて大抵済ませてしまう。


「おい、」
幼い少女の声。
張遼の背後、まったくの無防備な背中にごつりと何かがぶつかった。
「!!」
きゃっと伸び上がったそのその頭のてっぺんに、振り下ろされる、木のたらい。
かごんと小気味いい音を立てたそのたらいの上から、
「こたえろ」
と、緑雲が顔を覗かせた。
緑雲、本当の名前は不明である。年の頃は8つ程。以前に夏侯惇と張遼が出かけた妓楼で、無理矢理客を取らされるというのを聞いて助け出した少女である。
しかしこの話はまた、今度。
異国の血がかなり濃く混じっているらしく、肌は濃い褐色で、強い緑の瞳とかっきりと勝気な眉が目を惹く。
髪の毛はもともとは真っ直ぐな美しい黒髪を腰まで伸ばしてあったが、逃げてくるときに景気良くばっさりと根元から切り落としてしまい、橙の薄物一枚を纏った今ではすっかりチベットの少年僧である。
坊主の少女はその緑の目を二三、羽ばたくような瞬きを起こし、土鍋を見下ろして首を傾げた。
「また、鍋を見ている」
「あぁ、」
「元譲に、あいたいのか」
ぶしつけで裏表のないその物言いに、張遼はなんでお前が字で呼ぶのだと心中穏やかでない。
「……あいたい」
しかし子供相手に我を張っても仕方が無い。張遼はすぐ真横にしゃがみこんだ緑雲の、肉のついていない剥き出しの脛を見た。
小さな、張遼の手の平と比べても明らかに小さな足の裏には細かな穴や火傷がたくさんついている。これは妓楼の主人が反抗的な緑雲に対して与えた、罰の証であった。
針を刺し、焼き鏝を押し当て、見えないところ沢山に、さまざまに傷を持つ緑雲をどこか、張遼は自分と重ねている。
どんなに傷ついても、毅然として顔を上げていた少女は強く、今側にいる。
「そうか、ならあいにゆけ」
なんなく言ってのけるとやわらかい手の平がそっと、土鍋を包んで持ち上げる。座ったまま抱え込むと、すんすん鼻を鳴らした。
たっぷり濃い睫を伏せて、嗅いでいる。
「いいにおいがする」
薄く緑雲が、笑う。
張遼は空の、染みのついた鍋底をぼんやり眺めなから髭をさすった。もういっそ土鍋に自分ごと入ってしまいたいと思い、大きくため息を漏らして顔を覆った。
「どうした」
気づけば寝転がっていた緑雲が、張遼の手にその坊主頭をさりさりとすりつけ、あくび交じりにたずねる。
「入れるものが無いのだ」
丸く張り出した後頭部をぐるぐると撫で回しながら、張遼は答えた。即座に緑雲が答える。
「米も麦も、あるぞ」
「それしかない」
「それじゃ、だめか」
「………」
ばっと身を起こして、緑雲は不満げに足をばたつかせながらなぜだ、なんでだ、としつこくだだをこねる。
「だめなのか、」
額に深い皺を刻み、鼻の下が伸びるほど口を尖らせた少女に仕方なく、
「駄目では…」
と、言いながら目を逸らして、うつむく。

しかし緑雲はすぐさま立ち上がり、張遼の手をひっぱる。緑の瞳がりんりんと燃えて熱い程であった。


「なら米だ、いためるのか、ゆでるか、……にるのか」

土鍋を掲げ、勇ましく張遼軍は台所へと進軍をするのであった。
そうするしか、なかった。


































「かたいぞ、」
「そうだな」
「元譲のくれたのは、もっとふかふかしていた」
「……そうだな、」
二人とりあえず支給された米を袋から取り出して、口に含んだ。
がりがりと口の中で砕けた米は糠くさく、奥歯に挟まった。
細く割いた竹で米を除きつつ、台所の土間に土鍋をはさんで対面に腰を下ろして問題点を協議し始める。
口火を切ったのは緑雲であった。
「火をとおせばよいか」
竹を口に突っ込んだまま、ふぐふぐと不明瞭な唸り声を上げながら張遼、米の粒を手のひらにのせてしげしげと眺め答える。
「水気がないのも問題であろう」
べっ、米を吐き出した緑雲は水瓶を指差す。
「なら水で煮ればいい」
「そうだな、」
「それと、くさいな」
「洗ってから、煮ればよかろう」
「そうか」
「おぉ…進むべき道が見えてきたぞ」
「やったな、張遼。元譲に会えるぞ」
「うむ」
だからなぜ自分は名前呼びなのに夏侯惇は字呼びなのだとまた、張遼一人考え込む。
それはとにかく蓋をすることにして、色々と過程としては間違いながら、ようやく米を洗って火を通すところまで張遼軍はたどり着いた。


「……白いものが出てきたな」
「米も乳がでるのか、張遼」
「………わからぬ」
土鍋の中で米と水を入れてぐるぐるとかき回して洗ってしばらく経った頃、もくもくと白濁する土鍋の中を見下ろして呆然となった。
「籾が浮いてきた、これは捨てるがよいと見るが…」
「乳はどうする」
「……うむ…」
仕方なく緑雲が手を伸ばしてその水をすくい、恐る恐る口に運んだ。倣って張遼も水を口に含む。
捨てるか、取り入れるか。
口に広がるなんともいえぬえぐい味に、結論が出るのは速かった。
「……どうだ、小緑」
「乳では、ない、ような」
「よし、捨てるぞ」
張遼が土鍋をそっと持ち上げて慎重に傾け、ちょぼちょぼとその白濁した水をながしに流し始める。
息を詰め、土鍋の重みに腕をぶるぶるさせながら、慎重に、慎重に、
「「あっ」」
ちゃりちゃりちゃりちゃり…
米粒が流しに我先にと散ってしまう。
一瞬二人の視線がきらめきを伴って交錯する!
すぐにちいさな褐色の指が散らばった米粒を素早く拾い集めにかかる。その間も張遼は白濁した水を今度は指で米を漏らさぬよう押さえながら流す。
救出した米粒をそっと土鍋に戻す。何事もなかったように再び水をひしゃく注ぎ込む。が、

「張遼、また乳だ」
「おぉ…小緑、どうするのだ」
「かせ」

緑雲は焦れてその場に爪先立ちになると、手を無造作に土鍋に突っ込んで、がっしゃがっしゃとかき回し始めた。
猛然と掻き混ぜたその指の間から米が勢いに負けてちりちりと飛び散って、流しに落ちる。
「乳が出てきたぞ、張遼」
「繰り返し洗えば良さそうだな」
「まかせろ」


がっしょがっしょがっしょ、
ちゃばちゃばちゃばちゃば、
がっしょがっしょがっしょ、
ちゃばちゃばちゃばちゃば、

それぞれ交代で洗いと拾いを担当する。
繰り返すほど半時。
水が混ぜても擦っても透明なままになったのを確認し、汗だくの二人はようやく土間に膝を着いた。

「透明だ」
「おう、きれいだな張遼」
この早春汗をたっぷりとかいたため、張遼はもろ肌脱ぎ、緑雲は裾を捲り上げたあられもつつしみもない格好である。
米は力加減のできない張遼によって完膚なきまでに砕け、乱暴な緑雲の洗いに飛び散り、拾いきれない米粒のせいでかさも少々減っていた。
だが、二人はじゅうぶんに満足していた。
「ゆでるぞ、」
「……小緑、水はどれだけいれたらよいだろうか」
「……」
「………」
張遼軍の勝利は、まだ見えない。



































早馬が一筋の闇となって、夜の闇を際立って輝きながら、ひたすらに駆けている。
黒毛の、背と額に白い星のある駿馬は張遼の友ともいうべき双星。
主人のためにひたすら、乾いた大地を削り取る勢いで駆ける。
その背には軽装の張遼が上体を低くしてしがみついていた。
小脇には張遼の象徴とも言うべき戦装束が団子になって抱えられており、見事な馬術で振動を与えないよう急ぎながらも丁寧に双星を駆る。

草原の果て、海の果て、世界の果て、
そこに待っている灯りがある!
その傍ら、貴方が見える!
人馬一体になって、闇を貫いて、彼の元へ!



































夏侯惇の家は普段どおり、油を無駄にせぬよう小さな灯りだけが漏れていた。
それを確認すると張遼は呼吸もばらばらに荒く乱れたまま、髪の毛や髭、服の裾を気にかけることもせずに、

「夏侯惇殿!土鍋の契り、今果たさん!!」

大声で、高らかに、堂堂と、宣言した。主人に呼応するかのように双星も後足で立ち上がって高らかにいななく。

「な、なんだ…!?」

その大声と尋常でないその気迫に転がりながら飛び出してきた夏侯惇を、両足を肩幅に開いて迎え、真っ直ぐにその戦装束の包みを突き出した。

「召し上がるが、よかろう!」

夏侯惇は戦装束の包みを抱えたままあっけに取られて、

「…あ、あぁ…」

まずは上がるように促したのであった。
ずん、ずん、と、さして体重もないような張遼が動くたびに、大気が振動する。
体からは汗が湯気となってのぼっていた。


食卓についた。
戦装束の包みをはがすと、中からまだ温度を保ったままの土鍋が出てきた。
それを見てようやく用向きを悟った夏侯惇は肩の力を抜いて、なんだと苦笑し、背筋をきっちり伸ばした張遼を盗み見る。
生真面目な、一部の隙のない表情、だがそこに興奮と疲労で頬を上気させているのが彼の本気を如実に夏侯惇に伝えてくる。


土鍋の蓋に指がかかった。
張遼の目に緊張が浮かび、こくりと喉が鳴る。




ぽくり、
湯気をつれて、蓋が取られる。
中からは、

「………」

「…………」

「……………」

「………………」

耳に痛い沈黙が二人の間に滑り込む。意を決して、張遼が、口を開く。


「いかがか、」
「え、」
「 い か が か 、」
腰を浮かせた張遼を慌てて手で制して押し止め、土鍋の中身と張遼の目を交互に見比べ、めまぐるしい勢いで言葉を選ぶ。

「お前、これ、」


粒の面影もなくなった、もはや半液体と化した米がたっぷりと満ちていた。


「………」
「…………」

あちち、あちち、
夏侯惇が指先にその粥を掬い、ふっふと吹いて冷まし、

「ほれ、」
と、張遼の鼻先に塗りつけた。

「わ、」
思わず反射的に目を閉じた張遼の、その鼻を、

「ん、……」
ぬるりと、温かい唇が、かじりつく。

「………!?」
体中の毛を逆立てんばかりに驚愕し、目を見開いた張遼を尻目に唇を追いかけた舌がそろそろとなぞる。
舌先できれいに舐めとると、吐息が張遼の睫を震わす。

「次はもっと、ましなものをもっていってやる」



だから、

だからもっと勉強しろ、

そしたら―――



ぐり、と夏侯惇の膝頭が張遼の股間を着物の上から思わせぶりに押し上げた。

顔は、逆光で張遼には惜しいことにまったく見えない。

そうしてさっさと夏侯惇は張遼を突き放すと、客人用の寝室に放り込んだ。





































次の日、放心状態で帰ってきた張遼に緑雲は好奇心を抑えきれぬ風情で、
「元譲はどうだった、よろこんだか、たのしかったか、うれしいか、」
と、周りを飛び跳ねながら矢継ぎ早に問いかけた。
張遼は力なくほんのり笑う。
「また、軽くあしらわれてしまった」

緑雲はなぁんだと坊主頭をうつむかせる。
「もてあそばれてしまったか、」
張遼は太陽をまぶしげに仰ぐ。
「もてあそばれて、しまった」

ともあれ、土鍋はまだまだ、つなぐのだ。
ふたりの間を、つなぐのだ。
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