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きょうじんの夜−木偶と罰−


本気なぞまっぴら!
遊びでなら、
遊びでなら、
してやらぬことも、ない。
確約せよ、
確約せよ、
本気にはならぬと、
愛情を抱くなと、
執着もごめんだ、
さぁ、
遊ぼう。


































新月の夜にだけ、張遼の家を訪れる。
それは最初の夜に取り決めたこと。
家に訪れる前に、身体を清めておく。
それは最初の夜に取り決めたこと。
恥らうような言葉をもらすな。
それは二回目の夜に取り決めたこと。
ある人間の名前を呼ばうな。
それは決めた訳でなく、暗黙のうちに。





























「張遼、」
抱き寄せる手間すら要らぬ、向こうから体ごとどすんとぶつかってくると私の首にごつい腕を回してきた。
殴り合いとなんら変わらぬ無遠慮さで床で待っていた私を体重と腕力でさして柔らかくもない褥に沈めてくる。
「…張遼、」
私に馬乗りになっている影からよく通る声が、降ってきた。くぐもっている。おそらく、ためらっているのだろう。
女にするように私に口付けようとしているのか、その機会を探っているのか。
顔などは見えない、だが影の目立つ喉元がことんと上下するのが見て取れた。
このまま白々しい茶番をするつもりもない私は、痺れを切らして上半身を起こすと彼の唇を吸った。咎めるように軽く食んでみる。
そうしてようやく、彼も舌先を私と絡め出す。
いつもこうだ。
彼は木偶だ。うんざりするほど木偶だ。
いつだって私から何かしらの行動を起こしてやらないと何もできはしない。その代わり命令すればそれなりにこなす。
臣下としては最高かもしれぬが、床の相手としては丸太もいいところである。
かといって恥らって可憐というにはあまりにもごつごつと、している。
最近では耳の中を引っかかれるような不快感を催すほどになった。

「夏侯惇殿、いい加減にしていただけませぬかな」

苛立ちをのせて咎めてみる、と、きくりと肩の曲線が動いた。
たったあれだけの口付けで軽く上下する胸が目に入る。寝台の側の明かりから、手を伸ばして覆いを取り払う。
と、情けなく眉尻を下げた彼のむさ苦しい顔と文字通り対面した。気が滅入る。

「大将軍ともあろう方が、男に抱かれようと必死とは」

嘆かわしいですぞ、とさらに言葉を続けると、私の腹の上でもぞもぞと身じろぎをする。
それでなくとも武人なのだ、重たい。質量だけでなく何もかもが、私に乗せるにはあまりにも、重い。

「生娘でもあるまい、そのように髭面の男に恥らわれてはこちらも気色が悪い」
わざわざ屈辱を与えようと言葉を丁重に選び、私が触れるまでもなく服の上からでもありありとしている股間を膝で突き上げてやると、

「ぅぐ、」

潰れた悲鳴を上げて彼は呻く。私は更に膝を動かす、執拗に、そして粘着、的確だ。
彼の髪の毛を手の平に乱暴に雑に掴み、背骨がきしむまで引き寄せた。痛いのだろう屈辱なのだろう、顔が醜く押し殺したように歪む。
私はちりと燃え上がる。寄せられた眉もの言いたげな眼差し皮の剥けた唇。


気配に媚が、含まれていた。
商売女のような、あざとい、それでいて無意識を売りにした媚を。
頭に血がぶわっと上る。嫌悪、吐き気。怒り。落胆。



筆一本分の距離にある彼の横っ面を、手加減せずに拳で張り飛ばした。
ぶつんと手の平に伝わる感触、走る痺れ、ぼやけた熱。
髪の毛を数本私の手の平に残したまま、彼は寝台から転げ落ちて床に腰から墜落した。
私は寝台に足を投げ出して寝転んだまま、気にもかけずに天井を見上げる。
薄茶色い染み。二つ、雨が降るたびに大きくなって、そのうち繋がるかもしれない。
呻き声、鼻を啜る音。鼻血でも?
寝台から上半身だけを起こして、見下ろしてみた。

「は…ッ、はは、なんて格好をしておられる」
思わず、声が上擦った。
鼻血を出し、髪の毛は汚く解れ、あおむけに床に潰れながらそれでも、
彼の一つきりの目には、色で満ちていた。
理不尽な扱いにすら、色は衰えない。
荒い息に胸が上下している。
普段あれほどまでに大切にしていた眼帯が解けどこへとも飛んでしまって見当たらぬ。
あれだけ激しく落ちたのに痛みに苦痛どころか、
それどころか、微笑んですら。
恍惚とした、顔で。
粘りつくような声で、呼んだ。
「ぶんえん、」

手を、伸ばして、
私に、手を、

「ぶんえん、」

伸ばして、
おそろしい、なんて、
色があふれて、浸して、

「あそぼう、」























棘棘虫が、私の背筋に瞼の裏側に口の中に取り付いて、
ちくちく、ちくちく、
正常なものをずたずたにする。
「去られよ!!」
怒鳴る。悲鳴かもしれない。
寝台から覗いた手は、腕まで生えている。もう後一歩で肩が現れるだろう。
「去られよ!近寄るな!」
彼の髪の毛が絡みついた手の平をふと見下ろした、汗をにじませている。
知らず、寝台の上で後退していたことに気づく。背中は既に壁にまでたどり着いてしまった。
もう逃げ場はない。
腕が私のつま先を捉えた。
頭が続いて、寝台に乗り上げてくる。
滲んだ血が夜目にも鮮やかな唇が開いて、毒々しい舌が覗く。
ふくらはぎを滑り膝まで上がってきた手の平が、今にも腐りそうな程に熟れている。
「ぶんえん、」
致死量の唾液を乗せて、親指から足首から脛から私の膝までをぬらぬらと舐め上ってくる。
左足は死んだ。毒にやられたのだ。
残るは右足しかない。右足で彼の肩を蹴る。今度こそ容赦もしない。
が、
「夏侯惇殿、貴殿に恥は無いのか!」
裏返った悲鳴だ。余裕などない。
狂人はどこまでも強靭でその凶刃は狙いを外さない。的確に私を捉えた。
「ただの、遊びだ」

彼の声は一定で、のっぺりと、している。
遊び。
振るわれた凶刃に寝台に縫い付けられた。磔。

「本気になったり、するわけじゃない」
どこまでもいつもの、
いつも通り、
「遊びだ、」
私はそれこそ、木偶になる。
手にした人間のしたいように望むように、なすがまま遊ばれる。
見立てられた人間がするように振る舞い、身代わりに、
「……遊び、ですな」
震える声で、確認した。
彼は夢中で裾を割って私の太腿を舐めている。
「遊びだ」
答えは簡潔かつ完結。
余地も予知。
失望することすら、おこがましい。
私はそれでもほんのわずかの隙間を探す、けだもののように鼻を利かせて。

「誰でも、よいのでしたな」

どうして私は自分を追い詰めるのだろう。
毎度毎度狂人に付き合わされて、振り回され、明らかに壊れかけているのに。
壊れたからといって省みられる身分でもないのに、
私は身の程知らずだ。
「あぁ…誰でも、」
その先は聞きたくない。
私は彼の顔に枕を押し付けた。




































いっそ、彼があの方の名前を呼んでくれたらいいのだ。
そうしたら、私は私でなくあの方として振る舞い、一分の隙も無くあの方として振舞えるのだ。
それなのに彼は最後まで私の名前を呼ぶ。
ならば私は私として抱かねばならぬ。
それがどんなに苦しいか彼はもしやわかってやっているのではないか。
身代わりだと言われながらも、私を求められる。
あの夜から。
































あれも月の見えない夜だった。
いつもと違い目を伏せる彼が気に食わなかった。
『張遼、その、おれはな、』
『…やめてください』
『…どうした、』
『本気なぞ、心底ごめんですな』
『……』
『いい年をした男二人、何を夢を見ているのです』
『ちょ、う』
『今までどおりでよろしいでしょう』
『……』
『遊びですぞ、全ては』
『…遊び…』
『どうせ、』


































『どうせ殿の身代わりであらば、誰でもよろしいのでしょうに』





































これは罰だ。
私は、目を閉じた。
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