『彼女』


弁当を食べ終え、残りの昼休みを何時も通り眠って過ごそうとしていた桃に、先ほどまで固まってなにやら騒いでいた秀麿たちが声をかけて来た。

「なぁ、桃、聞いたか?」


「何をだ?」


「田口のやつが女子大生に告白されたんだぜ!」
「おまけに昨日の夜はその女とホテルにしけこんでたんじゃと」

田口とは桃たちと同じ一号生で、隣のクラスに所属している男の名である。
男塾では珍しい話題に桃もいささかの興味を覚えた。

「へぇ?よく女子大生なんかと接点があったな・・・。まさか、一目惚れってことは無いだろうに。」


「桃もそう思うじゃろ?何であいつが告白されるんじゃ。田口は少なくとも男前っちゅう外見じゃねぇぞ。」


「確かに。桃なら分かるがなんで田口なんじゃ?」

疑問は皆同じだったようで、田沢や松尾を始めとする、教室に残っていた他の塾生たちも口々に秀麿に疑問を投げかける。


「なんでも、一週間ほどまえにその女がチンピラに絡まれ取ったのを助けてやったらしい。
その後お礼ってことで茶飲んだり映画いったりでちょくちょく会ってたらしいけど、昨日とうとう夜明けのコーヒーを飲んできたってよ!」


「なるほどな。ただの外泊にしては落ち着きがないなと思ったけどそれでか。」

昨夜の外泊を申請してきたニきのそわそわとした田口の態度に得心がいったという桃をよそに、
他の男たちは噂話の内容に悲鳴や怒声を上げて騒いでいる。
同じ条件で生活している人間が運よくありついた幸運に、どうして俺にその運が回ってこなかったのかと文句をいう事ひとしきり。

「駅前に出来たラブホテルに行ってきたらしいぞ」


「くっそ〜。上手いことやりやがって。何が夜明けのコーヒーじゃ!!」


「わしも女が欲しいのぉ」


「まったくだ。こんなところで花の青春を散らせるなんてたまらんのぉ。なぁ、桃もそう思わんか?」


「フフフ、そうだな。」

問われるままに答えたところ、何が彼らを刺激したのか一斉攻撃を受けた。

「なんだ、その余裕の笑みは。さてはお前女がおるな?」


「何、桃!本当なのか?」


「前から怪しいとはおもっとったが、そらそうだよなぁ。こんだけ男前だったら歩いておるだけで女が群がってくるわなぁ」


「くっそぉ、桃、独り占めしとらんとわしらにもちょっと回さんかい!」

むさくるしい顔の面々に唾を飛ばさんばかりの勢いで詰め寄られ、両手を突っ張ることでかろうじて圧し掛かってきそうになる巨漢達を押し留める。

「いや、ちょっと待て、なんでそうなる?」

珍しく焦ったような桃の台詞も、女日照が続いて頭が沸き立っている男たちにはただの言い逃れにしか聞こえないらしい。

「なんじゃ、わしらには回せんっちゅうのか?」


「自分だけもてよってからに!」

さらに詰められることになり、しまいは席の周りをぐるりと取り囲まれて逃げ場もなくなってしまった。
男ばかりなのは塾の性質上仕方がなく、ここにいるのは愛すべき同輩であることは間違いないのだが、
こんな風に男の軍団に血走った目で迫られたいかと問われれば当然否なわけで、慌てて彼らの言葉を否定する。

「いや、そうじゃなくて、俺には付き合ってる女なんていない」

(だから、もう少し離れろ!!)
との心の声が通じたのか、机に身を乗り出すようにして桃も眼前に迫っていた顔が、通常の位置・・・
つまり机の前に普通に立った状態にもどったことにほっと一息ついた桃に、しかし疑惑が晴れたわけではないらしく、
新たな疑問の声が上がる。

「でも、声かけてくる女はおるじゃろう?」


「そうじゃそうじゃ、この前も女どもがお前の姿を熱い目でみとったし」

再び男たちの目に剣呑な光が灯り始めたのを瞬時に否定する。

「何を言ってる。ここは男塾だぜ。不純異性交遊は厳禁だ。一号生筆頭の俺が、禁を破るわけにはいかないだろ?」

何時もの爽やかな笑みに乗せた尤もらしい答えは、次の瞬間に富樫の呆れたような声によってあっさりと否定された。
「よう言うわい。いっつも遅刻、居眠り、サボりを繰り返しとるくせに、そんな殊勝な考えもっとるとは思えんわ!」

的確な指摘にぐっと言葉に詰まる。それはまったくもってその通りなだけに返す言葉も苦しくなる。

「いや、・・・・・まぁ、それはともかく。付き合ってる女がいないのは本当だ。だから、みんな落ち着け!!」

皆の剣幕に焦りつつなだめる桃に、さすがにこんなことで嘘をつくような男ではないとの信頼により、一応の収束を見たが、
しかし、まだ納得がいかない様子で虎丸が頭をひねった。


「とりあえず今は彼女はおらんとしても、気になる相手はおらんのか?」

そう問われ、頭に浮かんだのは最近出会ったばかりの同輩の面影。


「気になる相手か・・・」

「お、これはおるな。どんな相手だ?」

虎丸が興味深深と言った様子で探りを入れてくる。

「どんなと言われても・・・」

「年はいくつくらいじゃ?お前ならかなり年上の女でも落とせそうじゃからなぁ」

「ん〜、年は多分俺よりいくつか上・・・だと思う。」

「ほうほう、それで?」

「それでといわれてもなぁ」

「可愛いとか綺麗とか、清楚とか、なんとかあるじゃろうが。」
じれったいと言わんばかりの虎の追随にしばし考え込む。

(気になる相手を脳裏に描き、言葉に置き換えようとしてみる。
鍛え上げられた肉体と技の見事さは目を見張るほど。美しいという形容詞が一番しっくりくる。
実力に裏打ちされた強さは、いささかの不安も感じさせない。
切れ長の鋭い目も、意思の強さを表すように引き結ばれた口元も、頬をえぐる傷跡さえも
彼の風貌をより魅力的にしていると思う。

強くて潔くて、豪胆で皮肉屋。いつも不機嫌そうな顔をしているが、感情を表に出すのが苦手なだけで
実はやさしいところもある・・・いや、むしろ表に出ないだけで驚くほどやさしい男だと思う。
きつい口調で憎まれ口を叩きつつ、有事の際は広い視野で全体を把握し、皆の動きに目を配っている。
本当に頼りになる男なのだ。

いろいろと言葉は浮かぶが、これというものを見つけることができない。
どれも彼の一部であり、全体を表しているわけではないからだ。
あえて一言で言うなら、いい男と言ったところだろうか。

本人に言ったら鼻で笑われそうだが、心からいい男だと思う。
そして、ひどく気になる相手でもある。
命がけで戦った相手だからというだけではなく、彼のことを考えると、そわそわと、落ち着かない気分になる。
その声を聞くだけで、足元が浮き立つような気分になる。
その存在がそばにいるだけで、うきうきと心が軽くなってきて、ちょっかいをかけたくて仕方が無くなる。
できることなら一番近い場所へいってみたいと思う自分を、どこか不思議な気持ちで感じながらも
けして悪い気分ではない。
むしろ、絶対にそうなるという確信めいたものを感じている。

あいつに言ったら、即座に槍のさびにされそうだが・・・・・

攻略の難しそうな相手を思い、口元にかすかな苦笑が浮かぶ。
自分でも難しい相手に惚れたものだと思ったのだ。

しかし、その笑みをみて周囲から催促の声が上がる。

「おい、桃、思い出し笑いしとらんと、わしらにもちゃんと教えんかい!」
「桃にそんな顔させるなんて、どんなええ女なんじゃ!気になるじゃろうが!!」

周囲からの催促の声に思考の海から引き戻され、やれやれと肩を落とす。

もちろん、彼が女を表す形容詞に当てはまるはずもない。
しかし、「いい男」などといったら、この場が氷つくのは間違いないし、大混乱が起こることは必至である。
桃とて別に、男色家という評価を得たいわけでもないので一応無難な言葉を選ぼうと、改めて言葉を探す。
とは言っても、別に自分の評価が気になるわけでもなく、

(下手なこと言って、あいつに警戒されるのも面倒だしな)

所詮本音はこんなところだが。


とりあえず女性を形容する言葉の中で一番近そうなものを選び出す。
「う〜ん、色気があるというのが一番近いかな」

男の色気という意味ではあるが、綺麗に筋肉のついた体や、戦闘の際の切れのいい動き、
そして、日常の中でのだるそうな表情も含め、彼の挙動の一つ一つが桃にとっては色っぽくみえる。

だから、うそは言っていない。しかし、この場の面面にはいささか刺激が強かったらしい。
色気という言葉に刺激されたのか男たちの目が爛々と光を帯びる。

「おぉぉ、大人の色気か!ええのぉ。髪は長いのか?スタイルは?」

妄想を爆発させているらしい連中のざわめきが大きくなった。

「髪は短い。スタイルはかなりいいほうだと思う。」

その桃の応えに大きなどよめきが起きる。

「かなりいいほうじゃと―――!この野郎、上手くやりやがって!」

「スタイルがいいっちゅうと、手におさまらんくらいの巨乳でケツも張ってて・・・」
「傍によるとええ匂いがするんじゃぞ」
「オネェさんに任せなさい・・・とかなぁ」

「くそぉ、桃、お前だけええ思いするとは何事じゃ!」
「そうじゃ、わしらにも紹介せんかい!」

周り中から押し寄せてくる冷やかしと、熱い欲望の入り混じった肘鉄やらなんやらに揉まれながら、
桃の視線が天井を彷徨う。気の早い連中の妄想にもはやため息も出ない。

「まだ付き合ってるわけじゃない。そもそも告白もしてない」


「お前がその気になりゃ、すぐに落ちるじゃろうが」


「さぁ、それはどうかなぁ・・・?」

告白なんぞしようものなら刃傷沙汰にでもなりそうな手強い相手を思い、思わず口元に苦笑が浮かぶ。
「なんじゃ、なんか気になることでもあるんか?」

珍しく桃の自信がなさそうな様子を訝しがる富樫に、桃は軽く微笑んで首を振った。

「いや、何でもない。まぁ、先は長いんだ、気長にいくさ。それよりそろそろ次の授業が始まるぞ。そういや昨日塾歌暗唱の宿題が出てたっけな。」

「なに、そんなもん出てたか?」
「出た出た。忘れとった!」
「お前鬼ひげが喚いてたのを聞いてねぇのか!」

「歌詞を一文字でも間違えたら制裁だっつうとったぞ」
「やべぇ!あと5分しかねぇぞ!!」

「根性で覚えろ!」
「いや、俺にいいアイデアがある。ここはカンニングペーパーを!」
「あほか田沢。お前のいいアイデアがそのまま通ったことの方が少ないわ!」

目先のピンチに些細な興味など霧散したようで、桃を取り囲んでいた人垣が口ぐちに叫びながら散らばったって行った。

やっと落ち着きを取り戻した空気に、桃がやれやれと一息ついたとほぼ同時に伊達が教室の入り口に姿を現した。

(へぇ、噂をすれば・・・・だな。)
そんなことを思いながら、伊達が席に着くのを待って声をかける。
「伊達、ずいぶんと重役出勤だな。昨日も帰ってなかったようだし」

「なんだ、小言か?」
「いや、ただの興味さ。で?」

「ふん、ちょっとした野暮用だ。ところで、何だこの騒ぎは?」
音程も何もあったものではないという個性豊かな塾歌を、思い思いのテンポでがなっている同輩の様子に眉を顰めている
伊達を面白そうに見やりながら、

「国語。宿題があったんだぜ。お前覚えて来たか?」
と軽く脅してみれば
「ふん、知ったことか。俺は何も聞いちゃいねぇ」
と何時ものふてぶてしいともいえるほどの堂々とした態度に、思わず桃苦笑がこぼれる。
(ま、こいつを当てるほど鬼ひげも馬鹿じゃないだろうが。)
そう思いながら、一応国語の教科書を出す。
いいところ小学校中学年程度の内容だ。

そして、今日はどうやって暇を潰すかを考え、その時ふと思考を過ぎった先ほどの噂話の台詞が妙に可笑しく思えて、
何となく口からこぼれ出た。

「なぁ伊達、明日の朝、俺と一緒にコーヒーでも飲まんか?」

何の脈絡も無い発言にいささか面食らった伊達の表情を楽しみつつ返事を待つ。
「あぁ?何だいきなり」

とらえどころの無い桃の表情に、その意味を読み取ろうとしたが読み取れず、考えても無駄だと思い直す。

何を考えているかわからないところもあるが、信頼できる男であり、自分が筆頭と認める男でもある。
そして、伊達にしては珍しく、そばにいて落ち着く相手でもある。

「別に飲んでやってもが、どうせ飲むなら酒はねぇのか」
答えた伊達に、何が嬉しいのか桃の唇に笑みが浮かんだ。
そして楽しそうに一言。
「それはまた、夜にゆっくりな。」
機嫌の良さそうな桃に、不審そうな顔を向けつつ、やれやれと言うように伊達は肩をすくめた。
その様を面白そうに桃が笑う。

これで朝と夜の約束が出来上がった。
伊達にとっては同輩との酒宴、桃にとっては思い人との接近のチャンス。
こんな風なたわいの無い日々の果てに、いつか本当に二人で熱い夜の果てに夜明けのコーヒーを飲むというのは桃の中での決定事項。
今はまだ、誰も知らない桃の心の中だけの秘密。
しかし、いつか伊達をあっと言わせ、そしてそのまま一生ものの関係を結んでやろうと、淡い優しげな笑みの下で
桃の強い決意は固められているのだった。


モクジ
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