肘掛の行方
俺が煙草吸うのが、そんなに驚きかよ。
そう大吾が咎めると、桐生はなんとも言えない顔をした。
「アンタ案外薄情だな」
「………」
唇を尖らせて不満を口にするその顔に、桐生は見覚えがあった。
訴える大吾の不満の一つとして、桐生の態度があまりにも変わりがないという事がある。変わりがないといっても、一週間やそこらの過去じゃない、十年あまり
経っている。その十余年前となにも変わりがないというのは変だ。生まれた子供だって小学四年生になる。十年というのはそれぐらいの年月だ。
その十年も長々と刑務所に居たのに、出所して一番とは言わないがまるで会いに来てくれなかったのには大吾は酷く腹を立てた。桐生の出所の噂を聞いていただ
けに、こ
れにはがっくりきた。
確かに自分の父親を殺した(と、当時はそうなっていた)のだから会いにいきづらいのは大吾にもわかる。桐生が大吾に会いに行きづらい以上に、大吾から桐生
に会いに行くわけには堂島組組員達の手前もあり決してかなわない。それ以上に大吾の気持ちも揺れていた。会って、確かめたいと切望していた。
だが、その後東城会がらみのいざこざに桐生はさんざん巻き込まれているのだ。自分の母親にも会って何時の間にか一戦交えたりもしていた。そうこうしている
うちに桐生の父親殺しが冤罪であったと大吾は聞いた。
その間大吾はカヤの外である。もちろん自ら進んで東城会から離れていたというのもあったが、一時は舎弟を務めた大吾の事を探す素振りもなかった。
信頼していた兄貴分の桐生が、自分の父親を殺したわけではない。聞いた時大吾は心底ほっとした、しかし同時に、それは他の人間から聞いていい言葉ではない
と憤った。桐生の口から聞きたかった。
薄情だ、
桐生がムッとした顔をしたものだから、薄情だと大吾は桐生に繰り返す。
「薄情だろ。ムショから出ても会いに来ねえ、さんざん寄り道した後でようやく会いに来たと思ったら、なんだ?東城会のため東城会のためって」
ムショ、耳ざとく周りの乗客は聞きつけ、寝たふりを決め込んだ。時を同じくして車体が大きく揺れる。
新幹線に乗ったことなどほぼ初めてに等しい。桐生は狭い座席へ窮屈に身体を押し込んで、居心地悪そうに大吾の言葉を受け止めていた。窓際の席へかける大吾
と、通路側の桐生。二人の間には肘掛があったが、大吾がそれを当然のように大きな態度で奪っていた。そのせいで余計に桐生は身体を縮める事になっている。
車内販売がやけに、桐生と大吾が並ぶ列の側だけを急ぎで通り過ぎ行く。
「俺の事なんか、これっぽっちも覚えちゃいなかったんだろ」
「そんな事はねえ」
「嘘付け、絶対忘れてた」
言い返す言葉もない。
もともと頭で深く考えるのは得意ではない桐生である。実際弥生に会って初めて大吾の存在を思い出したようなものであるし、大吾へ出会ったら出会ったで言葉
による説得が無理と見るや拳での説得へ切り替えた。結果としてそれは功を奏したのだが、大吾はその前に言うべき事があるだろうがとふて腐れる。
行き当たりばったり、そう言われても仕方がない。
殺害された寺田の遺言に従い、近江連合との盃を交わすべく大阪へ向かう新幹線の中、桐生と大吾との間に何か微妙な空気が流れつつあった。
「……悪い」
素直に桐生は詫びた。大吾はチラ、と隣り合う桐生の顔を見て、
「……まあ、アンタがそんな奴だってのは、うすうす思っちゃいたよ。いつだって手一杯なんだろ」
「……」
「俺がアンタをどう思ってるか、結局アンタは気にしちゃいねぇんだ。ったく変わらねぇな、アンタ」
非難がましい視線に、桐生は頭を小さく揺らして顔を背ける。悪い、詫びても良かったのだが重ねれば重ねるほど軽くなりそうで桐生は黙るしかない。
あーああ、大吾は伸び上がって大きなため息と共に脱力し、シートを大きく倒した。後ろの席の中年の乗客は一瞬嫌そうな顔をしたが、桐生と大吾の雰囲気から
そそくさと別の座席へと移っていく。自由席が幸いした。
大吾は押し黙ったままダウンジャケットのポケットを探り、くしゃくしゃになったセブンスターからひしゃげた煙草を一本取り出し、唇に挟む。
再びポケットへ吸い込まれた手はライターを探している。ごそごそしばらくやっていたが見当たらなかったようで、
「桐生さん、火ィ貸してくれ」
隣の桐生へくわえ煙草の顔を向けた。大吾のほうを向いた桐生は目を瞠るなり、
「煙草吸うのか」
「………悪いかよ」
煙草を吸うようになったのは、ムショを出てからだ、大吾はそう言ってやろうかと思ったが止した。桐生の方へ顔を突き出すようにして、火をせがむ。
「いや、そうじゃない」
桐生は自らもスーツのポケットから煙草を取り出して、ケースの中に突っ込んであった100円ライターを引き抜くと大吾へ差し出した。
ジボッ、
軽い音を立てて火をつける大吾の仕草は手馴れている。桐生は何の気なしにその一部始終を見つめていた。
「……なんだよ」
大きく胸に煙を吸い込んで、冷たい窓へ向けて大きく吐き出してから大吾は決まり悪そうにじろりと桐生を睨む。
睨まれたり脅されたり、こうした事柄にはとんと強い桐生はぽつりと、
「セッタか」
「ああ」
「俺も昔はセッタだったな」
懐かしむように呟いた。大吾は眉を軽く持ち上げてから、
「…………だからだよ、」
「だから?なんでだ?」
ケン、狐のような甲高い咳をひとつ。大吾はいらだったように母親譲りに真っ黒なやわらかい髪の毛をかき回してから、
「…………だから、こういう事」
いつの間にか肘掛を占領していた桐生の右手を、上から被せるようにして掴んだ。
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