兄弟未遂

指が綺麗な女だった。
「かわいそう」
俺を見て、その女は涙ぐんだ。かわいそう。馬鹿だ、女のほうがよっぽどかわいそうなのに。
俺は馬鹿みたいに何も言えねぇで、女の乳に抱かれて泣きじゃくった。



桐生さんが俺の親父の部下じゃなくて、俺の兄貴分になってから一月ぐらいたった時だ。
舎弟ってぐらいだからさぞ大変なんだろうと覚悟してはいたが、俺は桐生さんの煙草を買いに行ったり、使いっ走りをしたり、大した事はしていねえ。
でもそれはたぶん桐生さんが兄貴だったからなだけで、真島の叔父貴のところにやられでもしてたら頭を何度カチ割られただろか。
それぐらい桐生さんは、ケジメはつけるが理不尽なことはしない人だった。俺が好きな、桐生さんだった。
「桐生の兄貴」
かしこまってそう呼んだら、一瞬ガキみてぇにきょとんとして、それから少し考えて、
「…前と同じでいい」
困ったようにそう言った。そうだよな、今まで桐生さんと呼んでたから。他の組員はそれじゃシメシがどうのと言ってたが、
「俺ぁ、兄貴と呼んでもらえるほど大した人間じゃねえですから」
照れくさそうに鼻の頭をかいて、ぽつんと答えていた。
強くて、少し寂しそうなその顔が大好きだった。風間の叔父貴の前と、錦山の兄貴の前とだけ、懐かしいようなガキのような顔で笑う桐生さん。普通の、どこに でもいるような笑い方だった。
それから、
「今日は一人になりてぇんだ」
そう言って、俺についてこさせない時。行き先は知ってる、錦山の兄貴から聞いたA由美って女の前でも同じように笑うんだろう。
あれは家族の顔だ。そうわかっててもくやしいような気持ちがして、手に汗をかいた。



真夏の、夜きっかり九時だった。親父から呼び出された桐生さんが事務所へ戻ってくるなり言い出した。
「面倒みてやる」
たぶん、親父が頼んだんだろう。迷惑な事しやがって。桐生さんはガラにもなくちょっと緊張しているようで、俺について来いと言った。
面倒っていうのは、つまりは女の面倒で、若い舎弟をソープなり風俗なりに連れて行って筆下ろしをさせてやる事。
俺は童貞じゃなかったから本当にいい迷惑だったけど、そんなもの親父にイチイチ報告しちゃいねぇ。なにより桐生さんが親父にじきじきに頼まれたってんな ら、断るのも悪い気がした。
何もわかっていない顔で、俺はビニール張りのソファから立ち上がって、ジーパンの裾を擦り擦りついていった。
桐生さんの歩き肩は独特で、頭をゆらゆらと揺らして歩く。別にチンピラぶろうとしているわけじゃないんだろうけど、後ろから見ても喧嘩の売られそうな歩き 方だった。たぶんそれは何も気にしちゃいねぇだけだとは思うけど。少し抜けたところというか、ボァッとしたところがある人だから。
神室町のネオンは毎日バチバチうるせぇぐらいに明るくって、虫が時々ふらふら突っ込んでは墜落してく。大学出のテツ兄貴が、俺たちはあの虫みてぇなもん だ、光に誘われて焼かれて落ちると気取った。
俺は桐生さんの背中にふらふらしながら、その店へ入る。店の人間に桐生さんは俺の方をチラリと示してから、小声で何事か言った。
居心地が悪い、普通に金を出して風俗に行けばいいのに、誰かの手を借りてこの店に入るのは保護者同伴のガキみてぇで恥ずかしい。
「話がついた、……大吾」
「おう」
何か言わなきゃならねぇと思ったのか、桐生さんは俺の顔をしげしげと見て、

「…頑張ってこい」
言わないほうがよっぽどマシだと思うような一言を搾り出して、自分は自分で隣の個室へと消えてった。
俺は言われたとおり頑張るつもりで安ピンクの部屋へ上がりこんだ。



「ルネでーす」
タルい喋り方のピンクナース、これが俺の公式筆下ろし。胸はでかくて、肌は白かった。化粧は派手なのに爪が短くて、きれいな指をしていた。
「おう」
「おにーさんもヤクザなのー」
「まあな」
「カズさんの舎弟なんだねえ」
「…そうだ」
言いながらすすめられるまま、俺はベッドへ腰を下ろした。シャワーを浴びて、どうのって手順を踏ませる気はないらしい。時間制の店だったからさっさしたほ うが、桐生さんの財布にいいだろうか、それともあんまり早いと早漏だと思われるかもしれない。
「かっこういいねえ、カズさん」
「ああ」
ルネはベッドへ腰を下ろした俺の前へ膝をついて、手を俺の膝の上へかざした。大きく前が開いたナース服の胸が覗けて、それなりにソノ気になってくる。
でもルネが見せたいのは胸じゃなくてその指先だったみたいで、ちょっと怒った風に指をチラチラさせてみせた。
「わたしね、ピアノやるのよ。だから爪は伸ばさないの。でもピアノだけじゃ食べられないからフーゾクしてるの」
「へえ」
俺としては、ルネの身の上よりもソノ気になりかけたチンポのほうに頭がもってかれてたから、素っ気無い返事になる。
ルネは気にしちゃいないようで続けた。
「カズさん、ただじっと聞いてくれてね、それで、がんばれよって言ってくれたんだ」
「……」
『がんばれよ』
耳でカンタンに再生できる、桐生さんの声。きっと大げさでもなんでもなく、ただがんばれって言っただけなんだろ。俺に言うように。
誰にもあの人はそうだ。優しい、たぶんあれは、誰かに優しくされたから優しい。

俺も組へ入るって言ったはじめての相手は桐生さんだ。親父より先に言いに行った。
最初はそうか、それは堂島の親父さん喜ぶだろうなと笑ってくれて、まだ親父には言っていねえと言ったらバカヤロウと怒ったっけ。
親父より先に言いに来る奴があるかと言った後で、俺の頭をぐしゃりと撫でて、

がんばれよ、
がんばれよ、桐生さんは笑った。


俺の耳は急に良くなったみたいだ。薄い壁の向こうが透けて見えるようだ、目も良くなったみたいだ。
今桐生さんはどんな女としてるんだろう。時々物音が聞こえて、妄想ばっかり膨らんだ。
隣の部屋にいるのは、あたりまえに男と女だ。何もおかしいところはねぇ。俺だって、親父と、お袋から生まれた。
それがおかしいと思うぐらいに、俺はおかしい。男と男じゃ、おかしいのか。
たとえば今女を抱いてる桐生さんが俺に抱かれちゃ、おかしいのか。桐生さんが俺を好きなら、おかしくないだろ。俺が桐生さんを好きなんだったら。
「………やめとこうねえ」
ルネはぽつりと言った。俺は何も言えないで、ビンビンに勃起したチンコと、何もかもわかったようなルネの顔に泣いた。
何も言わずにルネは俺を抱き締めた。俺はルネへすがる。
「かわいそう」
かわいそう。
男だってだけでかわいそうなら、俺は救いようがないぐらいにかわいそうだ。
「兄弟になっちゃうもんねえ」
変な気遣いかたもあったもんだ。俺はしんしんとみっともなく鼻を垂らして泣いた。

時間ぎりぎり、結局健全に風呂だけ使った。部屋にあったティッシュを何枚も使って俺は部屋を出る。
目は真っ赤でどう言い訳をしたものかと思いながら、待合室の椅子へ座る。待合室のパネルを眺めてたら、ルネが二番人気だということを知った。
一番人気は休みの札がかかっていたから、桐生さんは俺へより高いルネを譲ったことになる。気遣いに涙が出そうだ。
桐生さんはまだみたいで、店員から、先に帰って構わないと伝言を伝えてきた。


俺はなにがなにやらわからない滅茶苦茶な気持ちで店を出て、その途中喧嘩してむちゃくちゃをやってから、帰って寝た。
その夜もちろん桐生さんをどピンクなヤラシイ夢に見たんだから、俺はまさしく青少年だ。
モクジ
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