みぞれみぞれ
忘れんな、俺はヤクザだ。
そう突き放したのに、
だからどうした、お前はお前さ。
なんでもないことのように言うお前が憎い。
え、知ってるぜ、やくざ!
まるでわかってないのにわかった顔をするあいつが憎い。
どいつもこいつもだ。
「伊達、遊びに来たぜ」
桃の手にはコンビニのビニル袋。富樫が何度酒は酒屋で買えと言っても聞かない男だった。許しがたいことにスルメやポテトチップなどの姿も見える。
まるで経済と言うものがわかっていない男だが、それでも富樫のようにキュウキュウしたところが見えないのだから不思議だった。
「おーっす、伊達ェ!」
虎丸の腕には油染みのできた肉屋の袋。中身は見ずとも匂いでわかるコロッケだ。ドタンバタンとやかましく現れる虎丸に、事務所が壊れるとそのたびに尻を蹴
飛ばしても聞き入れる様子はなかった。生まれながらに神経のデキが違うようだと伊達は思っている。
雨の日だった。一月も既に数えるところ後四日程の、寒い雨の夕方だった。
伊達は寒い室内で上半身を裸になり、腕立てふせをしていたところだった。裸になるのは何も自分の体つきの美しさに惚れ惚れとするためではない、汗を薄くか
き、寒さを忘れるほどに回数を重ねていたところ。
そこへ二人の旧知がやってきた。二人は口をそろえて、
「親友だ(ぜ!)!」
と言うだろうが、伊達はかたくなに拒みたい。
ドアを開け放って満面の笑顔の二人へ、外気よりも冷え込めと思いを込めた声で、
「寒い、とっとと閉めろ」
そう招き入れた。二人は顔を見合わせて、にゃっ、と笑った。にやっ、ではなくにゃっ、と笑う二人に伊達のいらつきが増す。
「何しにきやがった」
二人はまた顔を見合わせて、
「お前の顔が、見たかったのさ」
「おめーがさびしがっとるんじゃないかと、思ってのー」
口口にそう言う。伊達の眉間の皺は更に深まる。よれよれのチンピラシャツに腕を通して、顎をしゃくった。
二人はどうあれ、邪魔であれ、手にした食料品と酒は二人を招き入れる口実になる。
「言い訳が欲しいんだ、かわいい男さ…あいつは」
桃は目を細める。
「めんどーくさい奴じゃのう!よく来たな、でいいじゃろ?」
虎丸は丸い顎をさすった。
「てめぇらに出す座布団はねぇぞ」
もちろんダイニングテーブルなどのぞめるはずもない。新宿の真ん中ほど近い雑居ビルを伊達組の第一事務所としてからまだ日も浅いのだ。
そのうえ伊達は生活水準を上げるという頭がハナから無い。最低限を体へしみこませている。贅沢をするとか、身体を甘やかすとかそうした心を持ち合わせてい
ないのだ。
なので窓から少し離れたあたり、雑居ビルには似つかわしくない裸電球の下へ車座になって座る。
伊達のみ尻へぺらぺらになった座布団をあてがっていたが、綿がみっちりと潰れて硬く、座布団の用を足しているかははなはだ疑問。結局他の二人とさほど変わ
りの無い状態にあった。
雨は弱まり、雲の向こうで陽が誰にも知られずひっそりと沈み、月が昇る。
虎丸は普段どおりによく笑い、よく食べ、よく飲んだ。時折伊達に厳しい事を言われると口ごもって、直後打ち消すようにわあわあと大声を上げる。
身振り手振りも大きく、卑猥で下品な話を次から次へとよくしゃべった。ダレソレがデリヘル呼んだらチンチンに毛ジラミをもらった、ダレソレが突っ込んだら
相手にマラがあった、ダレソレがチェンジを六回もしたらヤクザ者が来た、などなど。
伊達も口端を軽く持ち上げ、小馬鹿にする態度は崩さなかったが、それでも次第に笑みを浮かべていく。
桃は舌のうまく回らない虎丸の話の端端、足りないところをうまく拾って腰を折らない程度に話を繋いで補った。
時間が片栗粉でとじたようにゆるりゆるりと流れていく。
窓の外では雨が雪に変じていた。赤穂浪士討ち入り、というああした清い雪ではない。路上に降り積もるやいなや誰ぞに踏みにじられ、泥やその他汚いものと交
じり合ってたちまち汚泥のみぞれに成り果てる雪だ。
しかし天上から降ってきている最中の姿は、どれだけ排気ガスや大気中のチリホコリを吸っていようと目が痛いほど白い。
深深、
深深、
しん、
どういう仕組みか音を吸い込んでいく。
天使が通り過ぎた、といわれるぽっかりとした沈黙が三人の間へ滑り込んだ。
一秒、
二秒、
三秒、
「……で、俺じゃねぇかとうたぐって、お前らはわざわざ来たのかよ?」
にやりと刃物の切れ味を持つ笑みを浮かべて、伊達はビールの缶を冷たい床へと置いた。コ、小さく上がった音はまだ中身が入っている事を表している。
くつろいでみせて、まるで酔っていない。ただアルコールが体内にはいった証に、目尻がちらりと赤らんでいるだけ。
虎丸がハッと面白いぐらいにうろたえた。桃ォどうすんじゃ、バレてっぞ――ご丁寧にそこまで白状しながら。
桃はと言えば図太くもビールをもう一口飲んでからにやりとして、
「羅刹先輩か」
そう聞き返す。質問に質問で返すのは良くない癖だ、伊達はフンと鼻を鳴らした。
「まあな、あのオッサンも腹芸が出来ねぇ。問い詰めたら全部吐いた」
「気の毒に」
「ちょっと撫でただけだぜ?」
「撫でた…なあ」
桃は小さく呟いた。何をどう、どの程度撫でたのやら。肩をすくめて見せた伊達はすぐにあの鋭い目をして、
「顔に六っつの傷だって?」
重ねて尋ねる。もう包み隠しは出来ない。先に口を開いたのは虎丸だった。
「おう、そーなんじゃ伊達。そんでもってえらく強いって言うじゃろ、俺ゃてっきり」
「俺が女を襲うとでも思うか。安く見られたもんだ」
「う……」
虎丸は顎をきゅっと引くと、呆れるほど素直に、
「すまん」
詫びた。この率直さが虎丸のいいところだと、伊達は認めないでもない。
腕を軽く組んで、わざわざとっておき蔵出しの低い声を出し、
「てめぇにそう思われたんじゃ俺も大したもんじゃねぇな」
「だ、伊達ェ」
「そうだな虎丸、伊達は誰よりお前に信じてもらえなかったのが悲しい、切ないと言ってるのさ」
「っ」
伊達が言葉を詰まらせた。思わず目を瞠って睨みつけてしまう、桃はそよそよと伊達の眼差しをそよがせてフッフフとあの笑いをこぼす。
次いで伊達は虎丸を見た、虎丸と言えばなにやら感動した様子で、
「よ、よ、よォし、わ、わしが必ず犯人とっ捕まえちゃる!!」
伊達の心へ報いんとしていた。肩透かしをくったような面持ちで、伊達はコツンとビール缶の底で再び床を打つ。
「金曜日の夜に、顔に傷持つ、中国拳法使いなぁ…襲うのは女ばかりか」
「これで四件目だ。警察も、ヤクザも苛立っている。虎丸はそのうち、お前が傷のせいで警察に疑われるんじゃないかと心配したんだ」
「ふん、そんなヘマはしねぇ」
「お前はそういう態度だから、誤解を招くのさ」
あながち間違ってもいない。桃は静かに続けた。ほんのりと沈んだ頬は白い。
「なあ、伊達。俺はなんとなくもうわかっているんだ」
「あ?」
「犯人はガキだろう」
「……どうしてそう思う」
「一番最初の事件の日も、13日の金曜日だった。次は26日。襲われたのはどちらもキャバ嬢だったんだ。取り押さえようとした男達を中国拳法らしき武術で
倒して逃走」
「二人目はソープ嬢のきららちゃんな!」
「どうでもいいだろうが」
割って入った虎丸に、伊達は呆れてみせた。桃がゆるく首を左右へ振る。
「違うんだ、伊達。教われたのは全員風俗嬢だったんだ。つまり、娼婦さ」
「それがどうした」
「……ガキさ。ファンタジーと現実のごっちゃになった」
虎丸がつっかえつっかえ挙げる。
「13日の金曜日は、ジェイソンじゃろ。女襲うのは、き、」
「切り裂きジャック」
「そう、それ」
「26日っていうのは、たぶん、【月一じゃ物足りない】って事だろう。下らない、倍数ならいいとでも」
伊達が沈黙した。桃は怒っているのだ。
だが、その怒りは次第に自嘲の苦しみに歪んで、ぼつりぼつりと歯切れの悪い声へ。
「他にも、様様な映画のネタが盛り込まれているんだ。それで、伊達。……俺は、本当に偶然なんだが、ある男を知っている。そいつはホラー映画のマニアで、
専門学校で特殊メイクを学んでいるんだ、将来ホラー映画のメーキャップをしたいらしくて、」
虎丸が驚きの声を上げた。知らなかったのだ、
桃は伊達を見て、伊達でないとの確信を得たと同時にもう一方の疑いが確信に変わったのだろう。
そうしてその先をどうするのか。伊達も虎丸も、桃自身でさえもわかっていなかった。
「傷の、メイクか…」
桃は頭を下げた。
「すまん。前に、傷のメイクのアイディアが欲しいと言われてお前を教えた。とても強いとも言った」
【強い男と同じ刺青を入れるように、同じ傷を身につけただけで、何か力が沸いてくるようなんだ】
「………フン、付け焼刃の中国拳法に、見せ掛けの傷か。くだらねぇ」
伊達は立ち上がる。桃は見上げた。重たい眼差しに睫が震えた。伊達の腕が薄緑のカーテンを払った。外は東京にしては珍しいほどの雪が笑っている。
相手は亡霊だ。
自分になりそこなった亡霊だ。
いつだって自分が自分を傷つける。
自分だけが自分を傷つける。
誰も彼もを斬捨てて、そうして進むは修羅の道。
選び取ったは自らの、愚か愚かの鬼と化し。
伊達は窓際に立てかけてあった槍を手にした。ひやりとして、放置していた伊達を責めるようだった。
「偽者との格の違いを教えてやる」
出陣じゃ、御輿をあげい。虎丸がおどけていうものだから、伊達は軽く尻を蹴飛ばした。
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