夢は一国一城のあるじ
剛次さんはお尻がどっしり大きいのね。パンツの膝から下がどこかゆるそうに見えるのは、お尻と太ももで選ぶからなのだわ。
「…女がそういう事を言うな」
「はい」
お尻とか太ももとか言ったらいけなかったかしら。そういえば母さまも思ったことをすべて口に出すのはよしなさいって言っていた。
私は胴がぬっと長いけれど、着物を着ることが多いからあまり目立たないかもしれないわ。
「今日の着物はパイナップルなの」
「……そうか」
剛次さんほめてくれないかしら、パイナップル。と思って見ていたけれど、
「行くぞ」
先に歩き出してしまった。がっかりだわ、でも、ゆっくり歩いてくれているからすぐに追いつける。
今日もとっても寒いのね、上野駅はすっかり綺麗になって。
もう後三十分もすればデパートも開店するかしら。まだマクドナルドしか開いていなくって、少し早すぎたかもしれない。
朝の空気は気持ちがいい。
「お侍さんみたいだわ」
そう言った私に、剛次さんはニヤリぎらぎらと笑った。
「剣豪だ」
抜き身の鋭い刃のような、と教えてくれたのは桃様だったわ。本当にそう、こわい顔で笑った。
こわいとは、怖いとも強いとも書くのだから、間違いじゃないでしょう。
「戦国時代だったらよかったのに」
「時代が違おうが、国が違おうが、俺は変わらん」
「そうね」
そうでしょう。
私はつまらないことを言ってしまった。剛次さんはいつだって、『剣豪・赤石剛次』なんでしょう。
「私もそうだわ」
私だっていつも同じだと思うわ。そう言ったらなセかむつかしい顔で、
「……てめぇはそうだろうよ」
「はい」
その後二人で不忍池の周りをぶらぶらと歩いて、お団子を食べて、また歩いて、うどんを食べて、また歩いて、歩いて、そしたらお昼になったものだから私はカ
キフライを食べて、剛次さんはメンチカツ定食を食べて、また歩いて、歩いて歩いて歩いて、歩いて、あんみつを食べて、それからまた歩いて歩いて歩いて、
「もう新橋か」
ずっとずっと歩いて、気づいたら新橋でもう夕暮れ。私は新橋にあまり縁が無いのでなにもかもが目新しく感じられる。
「剛次さんは新橋、よくいらっしゃるの」
「まあな、ここらは飲み屋が多いからな」
「飲み屋…ね、剛次さん」
「駄目だ」
剛次さんは素早く首を横へ振った。どうして。
「まだ何も言っていないったら」
「駄目だ。女連れで行くところじゃねぇ」
「どうして。私も剛次さんのよく食べているところでご飯を食べてみたいの」
「聞き分けの無い事を言うな」
「ほら、あの方も女の方を連れているわ。あちらも、ほら、ね」
赤い提灯が夜にいくつも燃えて、お祭りみたいだわ。素敵、縁日みたいに屋台がいくつも出ている。楽しそう。
その賑やかな赤い光の中ではどっと膨らむ笑い声や歌い声が沸いていて、わくわくしてくる。
人は楽しい方へ楽しい方へ集まるんでしょう、ちょうちょのように綺麗な女の人を連れた男の人たちが光の中へと歩いていく。
女の人達は皆華やかだわ、足がすっきり長くって、胸なんかばーんとしているわ。
「アレは――ともかく駄目だ」
「どうして」
「どうしてもだ」
「…………」
「……………」
にらみ合いだわ。
お相撲のように、ここで負けてはいけない。私は精一杯顔を近づけて強く強く剛次さんを睨んだ。こんな楽しそうなこと、諦めない。
そういえば剛次さんは眉だけは黒々と太い。その毛もとても硬そう、髪の毛はしろがねで綿毛のようでもっとふわふわとしていそうに見えるのに。
剛次さんの指の背に生える毛は何色だったかしら。私ったらすっかり忘れてしまったわ、確か脛の毛は黒かったよう。もろ肌に脱いで剣をふるっていた時、胸の
毛はどうだったか思い出せない。いやだわ、そんな大事な事を私。
「……思ってる事をすべて口に出すんじゃねぇ」
あきれ返った剛次さんの顔が近くにあった。あら、また私やってしまった。
「それでね十蔵ちゃん、剛次さん本当にたくさんお酒を飲んでね」
「いつになったら本題に入るんだよ」
身動きの取れない十蔵は苛立ち、うきうきと結婚前のデート話を語る母親へ声を荒げた。
十蔵の部屋は今や、得体の知れない膨大な数の部品で埋め尽くされている。そのどれもが小さなもので、ほとんどが木製だ。十蔵が身動きをすれば跡形も無く潰
れてしまうだろう。ベッドに寝そべって雑誌を読んでいるところに入ってきた母親がちまちま並べているのは知っていたが、途中で身動きできるスペースぐらい
は残すべきだったと今更ながら後悔していた。
「本題?なんだったかしら」
「てめぇな」
「ごめんなさい思い出したわ」
丸い顔をほころばせて、母親は一つの部品をつまみあげた。それは目を凝らせばようやくわかるほどの細かい絵が描かれた襖だった。
「それでね、たくさんお酒を飲んで、いつか俺は城に住む、貴様もだと言ってくれてね」
「………」
それはそうとう呑んだのだろうな、と十蔵は薄い瞼を軽く持ち上げて驚いた。晩酌の様子や、男塾OBが集まったときの模様から見ても酒には強い筈だった。そ
の父親がそんな事を口走るぐらいなのだから、そうとう呑んだのだろう。
「でもね、東京は土地が高いでしょう。どうしてもお城は建てられなかったの」
「田舎でも無理だろ」
十蔵は冷たく遮った。赤石家は別に資産家というわけではない、母親の実家は元華族で資産家ではあったが、それでも城を建てることは難しいだろう。
「ええ、こないだね、愛媛県でお城が売り出されていて、とても立派だったから欲しいと思ったのだけれど…」
「売り出されてた?」
「そう、これ。パン
フレットだけでももらったの。見てちょうだい」
十蔵は手にしたパンフレットを睨むなり、
「ラブホじゃねぇか!!」
と怒鳴った。母親は口に手を当ててのんびりと応じる。
「そうね。だから内装のリフォームに時間がかかりそう」
「馬鹿らしい、………で、この部品は」
「それは、これ」
『週刊 安土城を造る!!』
「前にテレビで見たのよ、素敵でしょう。これ、二年間かかって部品を集めたから、今から築城するところ。十蔵ちゃんに手伝ってもらおうと思って」
「あー……そういや、何年か前に見たような…これを集める奴がいるとは思わなかったぜ…」
額に手をやって、十蔵はああ、とため息をついた。
部屋中にズラリと並べられた安土城の部品を見渡すだけでそのこだわりようが知れる。天守閣の瓦や、畳はきちんと本物の素材が使われており、襖絵も見事なも
のだった。
つまりはこれを片付けねば、十蔵は部屋で手足を伸ばして眠れないというわけだ。
「お願い、手伝ってちょうだい」
「………」
ぴんぽーん……
「おばさーん!!赤石いるーー!?」「獅子丸、お前いきなり大声…」「いいだろ信長、赤石ーー!!」「だから、いきなりじゃ迷惑だろって…」
「あら、あれは…」
階下から聞こえた声は、十蔵の同級生三名のもの。獅子丸、信長、安東。いずれも赤石家入りびたり組だった。
「一人でも多い方がいいものね」
母親は笑って、十蔵へ設計図のコピーを手渡した。十蔵も十蔵で、細かな作業が嫌いではない。
かくして赤石家十蔵部屋内にて、安土城が築城される運びとなった。
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